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本間忠良 衝撃の新刊 知的財産権と独占禁止法−−反独占の思想と戦略

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歴史的必然としての世界特許権

        −−現実主義と機能主義、そして政治化のすすめ

『特許研究』No. 28(特許庁/発明協会、1999年9月)

本間忠良 

目次:
1.政治的存在としての特許
2.通商と特許の歴史的和解−−世界特許権
3.予想される批判と反批判−−現実主義の陥穽
4.機能主義のユーフォリアと政治化のすすめ

1.政治的存在としての特許

 理想型としての絶対主義のもとでは、すべての権利が神から君主に与えられ、君主の恣意によって臣民に特許される。1624年、諸侯が英国王に迫って、ほとんどの国王特権を廃止させたが、発明特許がこれを生きのびた(独占条例)。1789年、フランス革命は、すべての封建的特権を廃止する一方、人格権を基礎とする著作権法と特許法を再構築した。ここまでの全時代を通じて、世界通商の基本思想は重商主義だった。1846年、穀物法を廃止して自由通商政策に転じた英国は、特許を重商主義の遺制とみて、相互主義によってその通商障壁性の軽減をはかった(同じ自由通商国のオランダは1869年特許法を廃止)。1870年代、後発資本主義国のフランスとドイツは、保護貿易を武器として英国に挑戦(1879年ドイツ通商保護法)、世界は帝国主義時代に突入した。この時代精神を体現したパリ条約(1883年)は、特許独立の原則をかかげて、発明特許を国家主権のもとに置いた(属地主義)。2次にわたる世界大戦後の1947年、米国は、史上2度目の自由通商体制としてGATTを創設する一方、国内では特許権を行使面から抑制するいわゆるNine No No's時代を演出した。1980年代、通商覇権の喪失をみてとった米国は、技術覇権の温存をめざしていわゆる「プロパテント」政策に転じ、1994年、世界貿易機関(WTO)「知的所有権の貿易関連の側面(TRIPS)に関する協定」によって特許保護のグローバルなレベル・アップを実現した。

 歴史を概観すると、そこには、自由通商と特許保護の宿命的なイデオロギー対立がみえてくる。21世紀の特許システムは、この対立を克服したものにならなければならない。ここに、世界特許権の構想が浮かびあがってくる。

2.通商と特許の歴史的和解−−世界特許権

 未発効の欧州連合共同体特許条約(CPC)をヒントにして私がいま考えている世界特許権はつぎのようなものである。(1)WTO・TRIPS協定の子協定として世界特許協定(WPA)を締結、世界特許庁(WPO)と世界特許控訴裁判所(WPAC)を設立する(WTOの紛争解決機能を利用するねらい)。(2)WPOは加盟国国民からの直接出願を審査し、単一の世界特許権を付与する。(3)WPAは、組織・手続き規定のほか、世界特許権の付与および効力要件−−特許主題(発明性)、新規性、非自明性(進歩性)など−−、および、世界特許権の行使におけるミスユース禁止と競争確保−−制限的事業慣行(RBP)といってもいい−−に関する実質規定を持つ(WPAはそのまま加盟国の国法として執行される)。(4)世界特許権は現存の地域・国家特許権と併存し、たがいに独立の地位に立つ(主権問題やパリ条約との抵触を回避するねらい)。(5)世界特許権侵害訴訟の第1審は国家法廷とし、世界特許の解釈と効力についての第2審(最終審)は、加盟国国民からの直接控訴を審理するWPACの専属管轄とする(判決は国家法廷を拘束する)。(6)言語は英語とする(くやしい選択だが、翻訳コスト問題で暗礁に乗 りあげているCPCの経験からみてやむをえまい)。

 現在、世界の特許出願件数の80%を占める日米欧の審査基準が急接近しており、機は熟している。世界特許権が、グローバル・ビジネスの支持を受けて、国家・地域特許権との競争に勝ちぬいていけば、そこでは、絶対主義以来の属地主義が止揚され、国境にとらわれない発明促進という特許本来の目的が貫徹する。

3.予想される批判と反批判−−現実主義の陥穽

 世界特許権構想を理想論として排する議論がただちに予想される。私は、はじめ世界連邦論や国連中心主義といった理想主義傾向の国際法教育を受け、のち安保論争を契機に、現実的認識を重視する国際関係論にのめりこんできたという過去を持つ。そのため、理想主義に対する近親憎悪があり、とくに「世界」なんとかという話を聞くと、反射的に、いかがわしいものとして身構える習性がある。私事を書いたのは、これが、私だけではなく、私たちの世代に共通のムードだと思うからである。この世代にいわせれば、力こそが正義であり(現実主義)、国家主権に勝る権力はなく、とくに、特許という、絶対主義時代から連綿として続いてきた国家主権の重要な一部を国際機関に委譲するなど、法理論としても不可能である(主権論)。

 1993年12月、いつもそういう時に限って主権論で凝り固まってしまう米国上院を顧慮して、「多角的」貿易機関(MTO)というへりくだった名前で交渉されていたものが、合意3日前、当の米国代表の緊急提案で、突然、「世界」貿易機関(WTO)というビッグ・ネームに変わった(サイン版は訂正が間に合わなくてMTOのままになっていた)。WTOは、名前だけではなく、その視野の広さとコミットメントの深さにおいても、自称現実主義者の私にとっては青天の霹靂だった。その時、私は、世界通商が、私の姑息な主権論をはるかに超えて進展していたことに気づいたのである。

4.機能主義のユーフォリアと政治化のすすめ

 ハーバード大のロバート・コヘイン教授は、「覇権のあとに」(1)という本の中で、1970年代、米国の覇権による安定が崩れたあと、国際レジームという一種の多頭指導制が出現し、そこでは、2極間の抑止や1極による覇権ではなく、先進多極間の機能的な協調が決定的な役割を果たすだろうと書いている(機能主義)。そういえば、日本の金融危機の引金を引いたBIS規制なども非公式の合意にすぎないし、G7もそうである。1991年、手詰まりに陥ったウルグアイ・ラウンドを打開したのも、なんの権限もないGATT事務局長の私案だった。機能主義は主権論をすでに乗りこえている。

 典型的な機能主義者と思われる日米欧の patent peopleは、まず日米欧3極特許権を創設しておいて、いずれ途上国を引きこんでいくという、trade peopleのことばでいえばプルリ(plurilateral)の構想を持っているらしい(2)。私は、この構想が、機能主義的すぎて、うまくいかないのではないかと懸念している。政治の論理が欠けているのである。世界特許権は、はじめからマルチ(multilateral)交渉にしなければ成功しない。3極だけでは、広大な無法地帯が残ってしまう。先進国だけの「にぎり」では、途上国の反発をあおって、かえって普遍的な世界特許権への道を妨げる。プルリのOECDでやっていた多角的投資協定(MAI)交渉も挫折して、結局マルチのWTOラウンドにとりこまれた。政治エネルギーの解放があたらしいレジーム生成のための通過儀式になっていることを、歴史が教えている。

 世界特許権の創設を、来年からはじまるWTOミレニアム・ラウンドで、日本から世界にむかって提案してはどうか。世界特許権のようなマルチ協定に途上国を引きこめる闘技場(arena)が、1993年、特許保護と繊維貿易という、まるで異質なものをトレード・オフ−−政治化(politicize)−−した実績を持つWTOラウンドしかないことを、政治的人間であるtrade peopleは知っている。

1 ROBERT O. KEOHANE, AFTER HEGEMONY (Princeton University Press, 1984).

2 GERALD J. MOSSINGHOFF, World Patent System Circa 20XX, A. D., 1 YALE SYMP. ON L. & TECH. 3 (1998).