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カルテルはなぜ悪いか−−独禁法「措置体系」の見直し(講演録 更新04-4-20)
本間忠良
講演暦 | |
03.10.07 |
03.10.08 |
山口 | 神戸 |
今日はカルテルについて話しますが、法律用語はなるべく使わないように、私がもとそうであったビジネスマンの言葉で話します。私はこの「カルテルはなぜ悪いか」というテーマで話すのははじめてなので、論文の定跡として、まず標準的な教科書を調べてみましたが、日本の教科書ではほとんど扱われていませんでした。そのかわりアメリカの判例がおおいに参考になりました。発展途上のテーマということで、私の考えが不十分なところがあると思いますので、どうぞご叱正をお願いいたします。
カルテルというのは、事業者がほかの事業者と共同して、値段や数量や技術や取引先を制限するなど、お互いに事業活動の自由を拘束することによって、公共の利益に反して、市場での競争を実質的に制限することをいいます。ここで事業者といったのは個人も会社もふくみますし、事業活動をやっているかぎり、学校や医師や弁護士もふくみます。談合もカルテルの一種ですが、一般には、買い手が特定少数(とくに公共機関)のときを談合、買い手が一般消費者のときをカルテルといっているようです(いずれも法律用語ではありません)。ここではどちらも区別しないで使います。生産者間の場合も販売業者間の場合もあります。生産者と販売業者の価格合意を違法だといったら商売になりませんから、これは含みません(再販価格まで拘束したら、カルテルとは別の「不公正な取引方法」で違法です)。
カルテルの制圧は公正取引委員会のいちばん重要な仕事といっていいでしょう。年30件以上のカルテルを摘発していますが、そのなかで圧倒的に多いのが入札談合です。
事業者の疑わしい行為をみつけたら、公正取引委員会は、まず審査をおこないます。ここでカルテルと決定したら、排除措置命令を出します。事業者の請求があれば審判に進みますが、ここでもカルテルと決定したら審決を出します。審決に不服であれば、事業者は東京高裁に審決取消訴訟を提起することができます。
カルテルに対して、法はいろいろなアクション(「措置」)を用意しており、これらをまとめて−−役人言葉ですが−−「措置体系」といいます。
カルテルに対しては、原則としてその対象となった商品やサービスの売上高の10%(中小企業は4%)を課徴金として徴収します。過去10年以内の累犯企業は5割増です。
とくに悪質な場合は、公正取引委員会が検事総長に告発して、会社は罰金、役員や従業員は罰金または懲役刑に処されることがあります。
ほかに、カルテルの被害者である顧客から損害賠償を請求されたり、入札談合の場合は国や自治体から指名停止を受けたりすることもあります。
ところで、最近、日本経済が多少持ち直してきているらしいのですが、不況の最中より景気回復期のほうがカルテルや独占が進むといわれており、公正取引委員会は警戒を強めています。こういう状況のなかで、私がみすごしにできないと思っているのが、いわゆるカルテル正当化論の台頭です。
私が委員に就任した5年前当時は、「カルテルは悪いことなのだけど、生きていくためには仕方がない」という声がありました。それが年を追うごとに、「カルテルのどこが悪いんだ」という言い方に変わってきました。
先日、私の古い友人から、「市場原理なんてアメリカのビジネス・モデルの押しつけだ−−日本はまねをすることはない」といわれました。この人は私と同年で、お互い1960年代の安保騒動の中で社会主義の洗礼を受けてきた世代なのですが、中堅企業の社長で資本家になったいまも、アンチ市場原理つまり統制経済を夢みているので驚きました。
最近のカルテル正当化論やアンチ・グローバライゼーションの動きは、私たちが時代の大きな曲がり角にさしかかっていることを示唆しているようです。といっても、私たち実務家は、歴史的な感傷にふけっているわけにもいきません。代わりになるよりよい世界モデルが示されていない現在、私は市場原理を判断基準にしないわけにはいきません。
昨年は、東大の先生が不況カルテル是認論を書いたり、経済産業省の審議会が設備廃棄カルテルを擁護したり、カルテル正当化論が表面にでてきました。
日本経済のいちばんの弱点は、生産性が低いことです。日本経済が強くみえた1980年代ですら、労働生産性でも資本生産性でもアメリカに30-40%引き離されていました。土地バブルのおかげでそれが目立たなかっただけなのです。
私は、これらのカルテル正当化論が、結局、日本の低い生産性を長期化し、下手をすると永久化するのではないかという危惧を持っています。私のような老人にとっては気楽でいいのですが、子供たちをそんな停滞した社会の中で朽ちさせたくはありません。私は、一人の委員として、私たちの子供たちのために、この日本の現実をなんとか変えなくては−−公正取引委員会の力だけでできることではありませんが−−という使命感にとらわれています。
まず、一般によくいわれるカルテル正当化論のうち、いくつか代表的なものを−−重複をいとわず−−ご紹介しましょう。カルテル正当化論は、米国法廷での100年におよぶ判例のなかで克服されてきたものです。しかし最初の3つはとくに日本で強く主張されることが多いようです。
・「痛み」緩和:景気はよくなったり悪くなったりします。景気が悪くなると、効率の悪い企業が倒産したりして、失業者や遊休設備が出ます。これに対して、カルテルによって倒産を避け、景気循環による失業や倒産の「痛み」を緩和する−−産業の退出にともなう社会的コストを節約する−−ことができるという考え方があります。不況カルテルや設備廃棄カルテルなどがそうですね。
反論:自分に何の責任もない景気変動のせいで失業するというのは、いくら資本主義の宿命とはいえ心から同情します。しかし、だからといって、カルテルで非効率企業の延命を図るのは、社会全体としては不合理で、景気回復を遅らせることになります。当人にとっても、むしろ苦痛を長引かせ、再起する機会を失わせることになります。
長年のサラリーマン体験から言うのですが、私だったら、生命維持装置で延命させられている非効率企業にしがみついて、年を取ってからリストラされるより、もっと若いときにやり直しのチャンスを与えてもらった方がよかったと思います。
一方、潜在的な生産資源−−とくに労働力−−を、遠からずかならず帰ってくる景気回復まで保存するため、いわゆるセーフティ・ネットを張っておくことは、政府の重要な責任です。
・生存権:公共事業のように、仕事が減ってきているのに供給者が多すぎる場合、希少なビジネス・チャンスを協調的に分配するシステムとして、カルテルを正当化しようという考え方があります。
反論:少ない仕事をカルテルで分配すると、分配にありついた少数の者はいいのですが、カルテルによって価格が上昇し、もともとすくなかった仕事の総量はさらに減ります。だからカルテルは必然的にボス支配になります(「仕切り役」)。
もっとも、いくら非効率でも人には生きる権利があるという「正義論」からの正当化論は説得的ですが、カルテルではなく、政府のもうひとつの責任であるセーフティ・ネットで対応すべきです。
・対抗:上流や下流でカルテルや独占がある場合はカルテルが許されるという考え方があります。たとえば輸入カルテルに対抗する輸出カルテルや、巨大商社に対抗するための小規模生産者カルテルなどがそうですね。団体交渉的発想で、日本ではかなり人気のある考え方です。
反論:悪には悪をもって対抗するという考え方で、これでは市場全体がカルテルと対抗カルテルで埋め尽くされます。資本主義とはべつの世界モデル−−アナルコ・サンディカリズムの考え方ですね。現代資本主義の世界モデルでは、上流や下流のカルテルや独占を独占禁止法で規制するのが本筋です。
・規模の利益:これはカルテル正当化論というより独占正当化論ですね。両者は本質的には同じものです。個々の事業者が競争して足の引っぱり合いをするより、協調して事業をしたほうが大きな仕事ができるし、規模の利益でコストも安くなる、大きいことはいいことだという発想で、アメリカで主張されることが多いのです。
反論:事業体の規模の利益はある程度までで、それ以上はマイナスというのが現在の通説で、大企業はいま逆に軽量化・敏捷化に向かっています。
合併には弊害もあるかわり効率性メリット−−たとえば経営統合−−があるといわれますが、カルテルにはこれもありません。
・投資促進:これもアメリカの判例に出てくる正当化論です。競争市場では変動コストしか回収できません。だから、鉄道、電力、通信、航空など巨大な固定投資を要する事業では、カルテルによって固定投資の回収を保証しないと、投資がおこなわれないという考え方です。
反論:アメリカの初期の判例は鉄道の運賃カルテルでした。トランス・ミズーリ運賃協会事件では、鉄道が運賃協定をして、西部の小麦生産者から搾取しました。法廷はこの正当化論を認めませんでした。鉄道も通信も長期的には競争にさらされ、結果的には大きな革新につながっています。投資も、競争を通して、その最適規模が決まります。大きければいいというものではありません。
・公共目的:カルテルによって、環境破壊や風俗などへの望ましくない投資や過剰な投資を抑制できる、公共目的のためならカルテルも許されるという考え方があります。たとえば、商店街の開業協定、休日協定、医師会、弁護士会などがそうですね。
反論:望ましい、望ましくないとか公共目的をだれがきめるのでしょうか。実態は公共の利益の名にかくれた価格維持カルテルや参入障壁が多いのです。市場は失敗することもありますが、カルテルや規制は、権力が絡むだけに、市場の失敗より有害といわれています。
公共目的の共同行動は、真に公共目的のために必要で、ほかにより競争的な方法がない場合は「競争の実質的制限」にならない−−カルテルにならない−−可能性があります。これはグレー・ゾーンなので、ケース・バイ・ケースで公正取引委員会に相談していただきたいと思います。
・品質安定:カルテルによって品質維持が可能になり、顧客の安全をはかることができるという考え方があります。国際航空の運賃協定が例ですね。
反論:価格カルテルをしても、非価格競争が起こって結局は同じになります。国際航空でいうと、有名な「サンドイッチ戦争」というのがあります。1950年代、エコノミー・クラスの食事はサンドイッチまでという協定がありましたが、ステーキをパンのスライスで挟んだものを出すエアラインが続出したので、内容から寸法までこまかい協定をしました。一般に、規制やカルテルは、抜け道をふさぐためどんどんこまかくなります。
ほかに、価格が制限されると数量を増やすという抜け道があります。国際航空ではオーバー・スケジューリングがいい例ですね。半分空席で操業し、消費者にそのコストを負担させています。
・研究開発:これもカルテル正当化論というより独占正当化論です。製薬会社やマイクロソフトがよくいうのですが、価格競争をやると研究開発にまわす利益が出ないから、ある程度の競争制限には、独占禁止法は目をつぶってもらいたいという考え方です。なお、シュムペーターも同じ発想で、R&Dは主として大企業が担っているといっています。
反論:研究開発のインセンティブは特許制度の仕事です。ただ、特許権は技術思想の独占なので、濫用されないように独占禁止法が見張っています。研究開発だからカルテルをやってもいいというのは本末転倒です。現実にはすでに過保護の弊害が出ています。
また、シュムペーター説に対しては有力な反論があります。大企業は商品化は得意ですが、そのもととなった20世紀の最重要発明の3分の
2は個人によるという調査もあります。大企業のR&Dは防衛的/インテグレーター的といわれます。GE会長が自認しているのですが、歴史的にGEのドル箱だったトースター、電子レンジ、冷蔵庫、乾燥機、食器洗い機、掃除機、洗濯機、フリーザー、アイロン、スチーム・アイロンは、もともと小企業が開発したものをGEが商品化したものだそうです。
・芸術振興:芸術は人間の本性を超えた精神的所産−−温室の花−−なので、価格競争という雑草の中では育ちません。これが著作物再販制の根拠としてよくいわれることです。
反論:芸術創作のインセンティブは著作権制度の仕事です。ただ、著作権は情報の独占なので、濫用されないように独占禁止法が見張っています。情報の独占が行きすぎると芸術は衰退します。現実にはすでに過保護の弊害が出ています。
再販制をやっている書籍では、製品−−というのは本や雑誌ですが−−がどこへいっても同じだ−−画一化ということがよく指摘されます。一人のスーパー・スターを作って大宣伝で何百万部も売るという重い商売になっているようです。超過利潤→過剰投資→過剰生産による無駄が30-40%にもおよぶ返品をもたらしています。資金回転を狙った新刊ラッシュの自転車操業になっています。共通コストが高いため、部数のすくない学術書などは、私が書くようなもので1冊8000円ぐらいします。とても学生に薦められません。大宣伝のコストを吸収するため高値をつけるから、読者はみんな図書館へ逃げます。これが市場原理です。このとばっちりで、買取り制の洋書はリスクがあるのでふつうの書店では嫌われ、日本人が外国語にアクセスするチャンスを狭めています。
音楽CDも、再販制のおかげで均衡価格が形成されず、世界一の高値で動きが取れなくなっているうちに、ネットやケータイやゲームなど隣接市場との競争に負けて、市場が年々縮小しています。そのうえ、政府の知的財産推進会議を動かしてCD輸入(禁止)権を創設するなど、国際市場からも断絶した音楽鎖国をめざしており、ますます自滅への道を走っているようです。アメリカでは、逆に、最近、トップ・シェアのユニバーサルが史上最大の値下げを敢行して反撃に転じています。これが市場原理です。
・不安定システム:カルテルは裏切りで自滅するから、あまり心配しなくてもいいという考え方があります。
反論:実態をみると、けっこう長続きしています(時には何十年も)。「囚人のジレンマ」的な均衡解がありそうです。
独占禁止法はカルテルを原則として禁止していますが、ほかの政策目的のために、例外的に独占禁止法の適用を除外することがあります。かつてはこの適用除外が非常に多くて、おそらくそのために日本ではカルテルに対する容認的な空気ができてしまったのでしょうが、過去10年、この適用除外を次々に廃止して、現在ではきわめてすくなくなっています。中小企業のための一定の組合や知的財産権の行使などがまだ残っています。
カルテルはなぜ悪いのでしょうか。法律違反だから悪いというのは答えになりません。先ほど申し上げたように、このテーマが日本の教科書ではほとんどとりあげられていないというのも、法律とは国家権力の命令だからいいも悪いもない、従わなければ罰するだけだというドイツ法学的な割り切りの影響ではないでしょうか。納得づくでやっている英米法はもっと親切で、この疑問にちゃんと答えてくれています。
「悪法も法なり」というソクラテスの言葉がありますが、独占禁止法や知的財産法のような経済法は、それを守る人の確信がないと、すぐ空文化するだけでなく、経済の発展を妨げます。もう一度聞きます。カルテルはなぜ悪いのでしょうか。
第1に、カルテルは顧客から盗む行為だから、道徳的に責められるべき行為です。
第2に、カルテルは社会に損失を与えます。泥棒の被害者は盗まれた人だけですが、カルテルは、直接の被害者のほかに、どこへもツケを回せない損失を社会に与えます(3項参照)。
第3に−−というより本当はこれが第1なのですが−−、カルテルは、なによりも自分自身をだめにします(5項参照)。
図の説明をします。まず「需要曲線」です。たいていの物は、値段が安くなると需要数量が増え、値段が高くなると需要数量が減るので、需要曲線は右下がりになります。
つぎに「供給曲線」です。これは1個よけいに作るときかかる原価のことで、操業度が高い場合は、原材料が枯渇してくる、残業料を払わなければならないなどの事情(収穫逓減の法則)で、生産数量が多くなるにつれて増加するので、右上がりの曲線になります(操業度が低い場合のことは忘れましょう)。
需要曲線と供給曲線が交わる点を「均衡点」といい、社会的な需要と供給がここで一致し、均衡数量と均衡価格が決まります。
ただこれでは追加した原価が回収できるだけで超過利益が出ないので(といっても平均では利益が出ているのですが・・)、これに不満な談合グループは、価格を「談合価格」まで吊りあげ、数量を「談合数量」まで減らします。したがって、黄色の面積だけ、消費者から供給者へ所得(厳密には余剰)が移転します。供給者が儲けただけ消費者が損をするのです。談合による供給者の「不当利得」ともいいます。
ほかに、明るい赤色の面積−−これを消費者余剰の損失といいます−−が出ます。つまり、本来ならば買えたはずのものが買えなかったことで、消費者が損失を受けるのです。たとえば、道路建設の例でいえば、入札談合で高値になったために道路建設が遅れ、それによって、青果物の流通が妨げられ、材料の搬入が遅れ、高速道路を通らざるを得なかったために物流費がかさむなどの社会的な損失が出ます。
暗い赤色の面積−−これを供給者余剰の損失といいます−−も出ます。つまり、本来ならば供給できたはずのものが供給できなかったことで、供給者も損失を受けるのです。たとえば、談合で高値になったために公共工事の予算がなくなり、仕事の総量が減り、失業が出ます。この点、談合をやると、ボスだけが儲けて、下位の業者の仕事がなくなるとさっき言いましたが、このことがよくわかりますね。カルテルは、消費者から盗んで業界の利益を図る行為だといわれますが、この言い方は褒めすぎで、じつは、業界にとっても自殺行為なのだということがわかります。
もうすこしすっきりした例を考えましょう。パソコン・メーカーがカルテルをやって値段を吊り上げました。おかげで、均衡価格なら買えたはずの人が買えなくなり、均衡価格なら完売できたはずのメーカーが在庫の山になりました。カルテルのおかげで、人類の歴史とともにあった「海の幸」と「山の幸」のあいだの「交換の利益」が失われて、経済が原始時代以前に戻ってしまったのです。
明るい赤と暗い赤の両方あわせて「死重損失」といいます。社会がこれだけの損失を受けるのですが、この分は、さっきの「不当利得」と違って、だれも儲けてはいません。
いままでの独占禁止法「措置体系」では、このうち「不当利得」を「課徴金」として回収していただけで、「死重損失」はお目こぼしになっていたのです。
いまの「措置体系」ができてから四半世紀以上たって、いろいろな問題点がはっきりしてきました。
なによりも、カルテルや談合はすくなくなるどころか、摘発されたのはほんの氷山の一角だと思える徴候がいろいろあります。全国規模の会社がいくつかの都市で同じような手口の談合をしていれば、ほかの都市でもやっているな・・とだれでも思いますが、直接証拠がなければ立件できません。
大企業による累犯−−しかも確信犯−−のケースが多くなっています。1991年以後だけで、ある大手電機メーカーは談合3件(2件クロ審決、1件審判中)、別の大手電機メーカーは談合2件(クロ審決)、別の大手電機メーカーは談合2件(1件クロ審決、1件審判中)と、世界に進出している電機メーカーでこのありさまです。私はかつて世界に雄飛したことのある電機メーカーに勤めていた人間として、いま海外市場で次々に敗退して日本へ逃げ帰っている電機メーカーが、「貧すれば貪する」カルテル体質に陥っていることを残念に思います。重厚長大の重機、重化学や大手ゼネコンもおなじです。中堅専門メーカーでは1社で4件、5件というのが数業種で各数社あります。
国際カルテルが増えています。日本の一流企業十数社−−どういうわけか産業史的にドイツ起源の化学や製薬が多いのですが−−が米国や欧州で挙げられて、1社何十億円という罰金や制裁金を払っています。日本の消費者も被害を受けているかもしれないのですが、日本の国庫には1銭も返してくれませんでした。最新のニュースでは、ソルベートの国際カルテルが欧州委員会に挙げられ、ドイツのヘキストが百億円超、日本のダイセル化学、上野製薬、日本合成化学がそれぞれ十億円超の制裁金をかけられました。
手口が巧妙かつソフトになって露見しにくくなっています。これはあまり話すとノウハウを教えてしまうことになるのでやめますが、昔は血判状を作って熊野権現に奉納したりするので物証をあげやすかったのです。いまはそうはいきません。逆に書き物がなくなって、あまり厳密なコントロールができなくなったために、カルテルがソフト化しているのかもしれません。ただ、いくらソフトでもカルテルはカルテルです。
いまの「措置体系」にはカルテルから離脱するインセンティブがないので、全員がいやがっていても、言い出す人がいないため、カルテルが存続してしまうというジレンマ状態があり、供述書を読んでいて同情してしまうことがあります(刑事で逮捕された部長さんの供述:「これでやっと談合をやめられる。いつかはこの日が来ると思っていた」)。
このへんで「措置体系」を見直して、あたらしい状況に適合させておかないと、日本の「失われた10年」が「失われた20年」になります。
このような観点から、公正取引委員会の諮問機関である独禁法研究会が、年来「措置体系」の見直しについて議論していたのですが、2003年10月末に報告書を発表しました。これにもとづいて公正取引委員会が独占禁止法改正法案を起案しましたが、経団連などの反対などで2年かかり、2005年4月20日やっと改正法が成立しました(施行2年以内に見直し−−ということは、賛成派・反対派とも今回の改正に不満ということ)。
まず課徴金制度です。さきほどのグラフでは黄色の「不当利得」部分がいまの課徴金にあたるのですが、さらに、赤い「死重損失」も社会に返してもらうよう、算定率をいままでの6%から10%に引き上げました。さらに累犯企業(ほとんど大企業)に対して加算制度(5割増)を導入しました。
課徴金の対象も、いままでは売値・数量カルテルだけだったのですが、今度は、シェア・カルテル、取引先制限カルテル、購入カルテル、さらには支配タイプの私的独占にまで広げました。
課徴金強化と表裏の関係にあるのが措置減免制度です。事業者がカルテルから離脱するインセンティブを与え、カルテルにシステミックな不安定性を導入するため、一定の法定要件−−みずから公正取引委員会に情報提供をおこない、自発的にカルテルから離脱する−−を満足する事業者の課徴金を免除ないし減額することにしました(3社まで)。
以上のふたつ−−課徴金の強化と措置減免制度−−が最大のポイントです、ほかに、審査・審判手続きの合理化など、手続きについての見直し点もありますが、こまかくなるのでここでは省略いたします。
改正法は、消費者、学界、言論界、産業界など各方面のオピニオン・リーダーからなる独禁法研究会の多数意見にもとづいていますが、いくつかのポイントについて批判−−とくに大企業グループからの−−がありました。
課徴金強化案に対しては、まず、近年のデフレで利益率が低下しているので、いまの10%は高すぎだという批判がありました。
反論:カルテルによる「不当利得」だけでも平均16.5%にも達します。公取委は、カルテル事件では、いつも審査開始前後の価格を調べています。審査の前後で、大きいのでは60%も下がったというのもあります。「死重損失」もかなりの率に達します(図1参照)。
課徴金強化と罰金が並存するのは、憲法39条が禁じる同一の刑事犯罪に対する二重処罰にあたるという批判がありました。
反論:課徴金と罰金では法目的が全く違います。これは損害賠償や指名停止などとの関係についてもいえます。交通事故をおこすと、免停になったうえ罰金をとられ、場合によっては賠償金まで取られますが、これを憲法違反だというでしょうか。いずれにしても、これは法律問題なので、財界の素人論議ではなく、研究会の主要メンバーである法学者の意見を尊重しなければなりません。
措置減免制度案に対しては、これが仲間に対する裏切りをすすめることになって、日本人の国民感情に合わないという批判がありました。
反論:泥棒仲間の仁義を重んじて、被害者や社会のことをまったく考えないのが日本人でしょうか(ヤクザ社会?)。国際カルテルでは、すでに日本の会社数社がアメリカと欧州で減免措置を受けています。さっきのソルベートもチッソが減免を受けました。
また、誤解もあります。まず措置減免は内部告発の奨励ではありません。減免を受けるのは企業ですから・・。また措置減免は米国のような司法取引きではありません。公取委の裁量は全くはいらず、法定の要件が自動的に適用されるのですから・・。
上の批判の底流には、日本のカルテルは、たとえば官製談合にみられるように、日本の政治経済全体に刷り込まれた体質なので、課徴金だけ引き上げても効果がないという−−いわゆる「カルテルあきらめ論」があるように思われます。この程度の改正で2年もかかったのですから・・。
独占禁止法は不十分ながら一応改正されましたが、これがほんとうに日本の経済を活性化するかどうかは、私たちの「こころ」にかかっています。この点ではっきりいうなら、お客や社会のことはともかく、いちばん大切なのは自分と自分の家族の生活です。私がいちばん言いたいことは、カルテルが自分をだめにするということです。カルテルは市場をどんどん縮小してしまうのですが、それでも、談合メンバーを生かさぬよう殺さぬよう考えてくれるボスのおこぼれをたまにもらえるので、追い詰められることもなく、いつまでも談合に協力しています。カルテルは甘い習慣性の毒薬です。
日本のことを「カルテル列島」とか、日本の産業界のことを「カルテル友の会」と自嘲的にいう人もいます。つまり日本ではカルテルが悪いことだとは意識されていなくて、「寛容と協調」の精神にもとづく村の掟や商慣習のようなものになっているという−−ある意味でのカルテル正当化論ーーというかカルテルあきらめ論です。
仲間うちだけで「協調」して、ぬくぬくとやっていけるうちはそれでもいいのですが、寒い外には飢えた狼が生きるためのえさを求めてさまよっているのです。カルテルをしている業界では、技術や経営革新のインセンティブがはたらかないので、いつまでも非能率な状態を続け、さいごには外の狼−−他業種や外国−−にパクリと食べられてしまいます。
1986年から1995年まで続いた日米半導体協定にもとづいて、日本の半導体メーカー各社が米国商務省との間で結ばされたサスペンション・アグリーメント(価格約束による反ダンピング調査中断)で、日本から世界に輸出される半導体メモリーの価格は、商務省によって、競争をまったく無視した高値に固定されました。国際的な官製談合です。おかげで米国の非効率なメーカーが生き延び、日本の半導体メーカーもめずらしく利益が出てホクホク喜んでいたのですが、この間に、それまで影も形もなかった韓国メーカーが大躍進を遂げ、日本メーカーが気がついたときには手が付けられない怪物にまで成長していました。繰り返します。カルテルは自分をダメにするのです。
このへんで気持ちを引き締めて、ビジネスの本質が、自分と自分の家族の生存がかかった戦いなのだということを再確認しないと、子供たちに未来がありません。
公正取引委員会の委員などやっていると、ビジネスマンのいろいろな行動を見聞きすることがあります。ある入札談合事件では、談合にはいるよう誘われたのに、最後まで回答しないでいたため、入札当日になって談合不成立、たたき合いの中で安値で仕事をさらってしまった人がいました。皆さんは、この人をどう思いますか。
私は立派な人だと思います。はげしく自分の利益を追求しているのです。企業者(アントレプレナー)の鑑です。ただし、この人は今後業界ゴルフには誘ってもらえなくなるでしょうね。
昔は、グループにはいっていないと、いろいろな情報が与えられないということがありました。業界とか学会とかの存在理由がこれでしたね。しかしIT革命のおかげで情報へのアクセスが自由になり、一匹狼でも必要な情報がいくらでも手にはいる時代になっています。
Homo homini lupus.
人は人にとって狼である。いちばん重要なアドバイスを最後に申し上げて今日の講演を終わらせていただきます。仕事仲間(あなたの敵ですよ)より家族を大切にしてください。ゴルフは家族と行きなさい。あなたを裏切らないのは家族だけですよ。ご静聴ありがとうございました。