本間忠良の「技術と競争ワークショップ」はhttp://www.tadhomma.sakura.ne.jp/へ移動しました。これからもよろしく。
本間忠良 衝撃の新刊 知的財産権と独占禁止法−−反独占の思想と戦略
経済法あてはめ演習60選(日本語)Antimonopoly Act Exercise 60 Cases
情報革命についてのエッセイとゴシップ(日本語) Essays and News on Information Revolution
知的財産権と競争法――Illinois Tool判決、完全価格差別、情報化時代(講演原稿)
2006年3月28日 公正取引協会外国法研究会
本間忠良
目次
3.per
se illegalかrule
of reasonか
ごく最近、本講演の主題にとって重要な判決が出ました。3月1日言い渡されたIllinois
Tool Works対Independent
Ink米国連邦最高裁判決[1]です。これは地裁のsummary judgment(部分判決)をCAFC(連邦巡回控訴裁判所)が逆転し、それを最高裁が再逆転したものです。1人no positionだったほか8人全員が賛成でした。CAFCと最高裁判決の大要をご紹介します。
地裁被告Illinois
Toolは、バーコード印刷用プリントヘッドとインク双方のメーカーで、プリントヘッドの特許権者です。同社は、プリンター・メーカーに特許プリントヘッドを販売し、特許権の使用ライセンス契約で、ライセンシー(プリンター・メーカー)に、非特許インクをIllinois
Toolから購買することを義務づけていました。地裁原告Independentはインクのメーカーです。Independentは、本件のような継続的義務を伴うタイイン(requirement
tie)を、1回限りのタイインよりさらに悪質などと主張、Illinois
Toolのシャーマン法1条違反によって同社特許権が無効または執行不能になったことの確認を求めて提訴しました。地裁は、Independentがタイング商品(プリントヘッド)におけるIllinois
Toolの市場力(market
power)をまったく立証していないとして、Illinois
Tool有利のsummary
judgmentを言い渡しました。Independentが、「特許・著作権ベースのタイイン事件では被告の市場力が推定される」とした
International
Salt 1947[2]
/Loew’s 1962[3]/Jefferson Parish 1984[4]/Data
General 1984[5]
を援用したのに対して、地裁は、上の諸判決に対する学者からの強い批判、とくにJefferson
Parishでの最高裁の上の言明が傍論(dicta)にすぎないとする評価を採用したのです。CAFCは、このsummary
judgmentを破棄して、上の諸判決の覊(き)束力を再確認し、地裁に差し戻しました[6]。Illinois
Tool の抗告を受理した最高裁は、CAFC判決を再逆転し、特許法281条(d)(5)を類推適用して、シャーマン法1条違反のタイインにおいても、原告Independentに、タイング商品における被告llinois
Toolの市場力を立証する責任があるとして事件を差し戻しました。「特許法1988年改正[後述]は、明文では反トラスト法に言及していないが、International
Salt 1947で宣言されたper
se ruleの再評価を促していることはたしかである。特許権者の差止請求権を否認するだけのルール[ミスユース]が、その行為を最高禁固10年の連邦法違反の犯罪とするルール[反トラスト法]よりきびしいということはありえない。議会が、[反トラスト法違反の]重罪としての処罰に値する特許の使用をミスユースに値しないという意図を持っていたというのはばかげた想定だ。・・我々の結論は、特許製品に関するタイインが、Morton
SaltやLoew'sで適用されたper
se ruleではなくて、Fortner
II 1977[7]やJefferson Parishで適用された基準で評価されるべきだということだ。・・特許はかならずしも特許権者に市場力を与えるとは限らないから、タイインに関するすべての事件で、原告は、被告がタイング商品で市場力(つまり、買手をして、競争市場ではしないであろうことをさせる力)を持っていることを立証しなければならない」。
この判決は、いくつもの先例を援用しており、しかもミスユースと反トラスト法の関係を主な争点にしているので、十分な理解には歴史的な観点が必要だと思います。タイイン(抱き合わせ)には、歴史的に、ミスユース(権利濫用)判例法と反トラスト法の両方が重畳適用されています。
この論理は一見理屈に合っているようですが、じつは当時の財産権至上主義を反映したイデオロギーにすぎません。マルクスが資本論の中で「商品のフェティシズム」と呼んでいるものです[10]。ライセンスを拒絶すれば、拒絶された事業者は、自分の資金と人材をほかの分野に投入するか、それとも、競合技術の開発に向けるでしょう。しかし、ライセンスしておきながらその条件として取引制限を課すのは、単なるライセンス拒絶よりも社会的な損失が大きい可能性があります。
クレイトン法3条はタイインを違法としています。ただ、これはモノとモノとのタイインに閉じているので、知的財産権ライセンスとモノ、または知的財産権ライセンスと知的財産権ライセンスのタイインには、ミスユースかシャーマン法1条が適用されます。この行為が同時に独占行為や独占維持行為に該当すれば、シャーマン法2条が適用されることもあります。
1914年のクレイトン法と連邦取引委員会法の制定を頂点とする米国反トラスト法中興運動のなかで、それまでのタイイン諸判決を一掃したのがMotion
Picture 1917[11]でした。これは今でも広く援用されている記念碑的な判決ですが、論理としては今からみるとちょっとおかしく、こんなことを言っています。「本法廷は、裁判基準として、憲法1条8項8号[12]・・を使う。特許権者は、法の目的/文言いずれからしても、特許品の最初の販売後、・・その再販条件を制限することはできない。特許機械は、単一かつ無条件の販売によって特許法の独占の外に運びだされ、販売者が課そうとするいかなる制限からも自由になる。特許機械を原価で売って補用材料で稼ぐという商法も、法が独占権を与えた発明からではなく、特許のない補用材料から利益を得るという点で、制定法の文言に反する」。結論はタイインを違法としているのですが、その理由として、特許品の販売による権利消尽と使用ライセンスの切り分けが不徹底でした。いわば逆フェティシズムでしょうね。
これ以後タイインがミスユースだという判例が現在まで続いているのですが、はじめのころ、たとえばCarbice
1931[13]とLeich 1937[14]は、タイインが特許権による独占を非特許材料にまで拡張しているから公共政策違反だという論理をとりました。さらに後続のMorton
Salt 1942[15]とB. B. Chemical 1942[16]が、はじめて、タイインを衡平法(equity)のunclean hands法理違反(ミスユース)として純化しました。International
Salt 1947[17]は、5年前のMorton
Saltとほとんど同じ事案を反トラスト法(シャーマン法1条)のper
se illegalとしました。ミスユース・タイインのなかでも、タイド商品がタイング特許実施のための専用品であるケースは、これをミスユースとしたMercoid 1944[23]を否定するために制定された特許法271条(c)によって、特許権の寄与侵害か侵害の誘引(日本でいう間接侵害)ということになりました。これは特許法プロパーの問題なので、これ以上深入りしません。
ここで、Illinois
Tool判決中で援用されている反トラスト・タイインのLoew’s、Jefferson
Parish、Data
Generalに触れておく必要があります。
Loew’s
1962は著作権ベースのタイインで、映画会社が映画を数十本一括してテレビ局にライセンスしたいわゆるblock
booking事件です。最高裁はこう言っています。「タイイン契約には競争抑圧以外の目的がほとんどない。タイインとは、供給者のタイング商品市場における地位を梃子(leverage)にして、消費者にタイド商品を買わせる行為であり、その要件は、タイド商品市場における自由競争を実質的に減殺するに十分な、タイング商品における経済力(economic
power)である。ここで必要な経済力はユニークネス(uniqueness)または消費者アピールで認定され、シャーマン法2条でいう市場力(market
power)の立証を要しない。このことはタイング商品が特許や著作権で保護されている場合とくにあてはまり、十分な経済力が推定される。特許法の目的のひとつはユニークネスに対する報奨だが、著作権でもおなじである。タイインは個々の著作者への報奨を差別化しないで、逆に平準化してしまう。本法廷は、著作権の存在それ自体に由来するユニークネスの推定を確認する」。
Jefferson
Parish 1984は、病院が医療サービスと麻酔医サービスを抱き合わせた事案で、直接には知的財産権事件ではありませんが、タイング商品における知的財産権の存在が、タイインの要件たる経済力を推定させることを確認した点で重要です。最高裁は、タイング・サービスの供給者が、タイインを強制できるほどの市場力を有しなかったという理由で、シャーマン法1条のper
se illegal成立を認めませんでしたが、他方、タイング商品が知的財産権保護を受ける場合は依然per
se illegalだとして、タイング商品における知的財産権の存在が、タイインの要件たる経済力を推定させることを再確認しました。こう言っています。「政府が売手に対してその商品上に特許や同様の独占権を付与している場合、その商品を他で買えないこと自体が売手に市場力を与えていると推定するのがフェアであろう」。
Data General 1984は、ミニコンのメーカーが、人気のあるOSに不人気のハードウエアを抱き合わせた事案で、裁判所は、ユーザーが、このOSから他のOSに乗り換えるためには大きなスイッチング・コストを必要とする−−いわゆるlock-in状態にある−−として、このOSで動かされるハードウエアをそのまま製品市場と画定、シャーマン法1条のper se illegalとしました。
ここでタイイン以外の、といってもタイインに関係のある違法行為を概観しておきましょう。特許権ライセンスのロイヤルティ差別をミスユースとした判決の代表がLaitram 1965 [17.5]です。 原告 Laitramはシュリンプ殻むき特許機械の製造、賃貸をおこなっていましたが、北西諸州での賃貸料を湾岸諸州の2倍にしていました。原告が北西部の被告King Crabを特許侵害で訴え、被告がミスユースと反トラスト法違反に基く特許権執行不能の積極的抗弁をおこなった事案で、地裁は被告を勝たせました。「ミスユース法理は、公共目的促進のために排他的特権を付与された者の独占が同政策に反する場合、その保護を法廷に求めることができないという原則に由来する。特許システムを支配するのは公共政策である。原告は、『特許権者は販売拒否できるのだから、差別もできる』と主張するだけで、差別の合理性(シュリンプの歩留まり)についての疎明もしていない。また、この差別は禁止的かつ恣意的なもので、合理的な根拠がなく、特許ミスユースにあたる」。ここにも、シカゴ学派の攻撃が集中しています。タイインは、タイイン・グループの内外で顧客を差別する行為なのです。差別の極端な形が差別的な取引拒絶です。
1980年代以後、米国反トラスト法学界と司法省反トラスト局をその影響下におさめるにいたったいわゆるシカゴ学派は、知的財産権に基づくタイイン、差別、流通支配、ライセンス拒絶−−これらを総称して市場差別化(market segmentation)と呼ぶこともあります[18]−−が合理的な場合がある、したがってper se ruleではなく、rule of reasonで判断すべきだという主張です。問題になっている行為は、タイインだけでなく、差別、流通支配、ライセンス拒絶を含む、日本でいうと不公正な取引方法を広くカバーしています。
1975年ごろ、当時までのミスユースと反トラストの判例に基づいて、知的財産権ライセンス契約にみられる一定の制限条項をper se illegalとする行政ガイドラインが、主として司法省幹部のスピーチの形で流布しました。これがいわゆるNine No No’sです。しかし、このNine No No’sは、5年後、知的財産権を米国の通商兵器として鎖から解き放すという発想を持ったレーガン政権司法省のシカゴ学派からはげしい攻撃にさらされました。
1980年代におけるいわゆるシカゴ学派の勝利の結果としてできた司法省/FTC共同の1995年知的財産ライセンシング・ガイドラインは、1970年代までの行政府の基本的認識−−つまり、知的財産権は本質的に独占権だから、行政の任務はその独占の弊害を最小限に押さえこむことだ−−を180度転換し、シカゴ学派の知的財産観−−つまり。知的財産権は本質的に競争創造的だから、ミスユース法理や反トラスト法による干渉は最小限にとどめるべきだ−−を前面に押し出しました。ガイドラインの基本方針は大要つぎのようです:(1) ライセンシング契約は一般的に競争促進的である。(2) 知的財産権による市場力の推定をとらない。(3) 反トラスト分析上、知的財産を他の有形財産と同一に扱う。ガイドラインは、知的財産ライセンシングに関しては、per se illegalアプローチを廃して、すべてrule of reasonで、つまり、(1) 問題の取引制限が反競争的か、(2) 競争促進効果が反競争効果を上回るかどうかを考慮します。ただし、ガイドラインは、知的財産ライセンシングは一般に垂直関係だが、水平関係でも非排他的であれば合法の推定をおこなうとしながら、クロス・ライセンスや特許プールは開発意欲を減殺するおそれがあるとして、競争者間の取引制限には依然として警戒をゆるめていません。
ガイドラインは、脚注で、判例原則と違うことがあると自認しています。これ以後、とくに「技術と競争」テーマに関して、司法省と裁判所は緊張関係にあった――たとえば、知的財産権による市場力の推定など典型的――のですが、このIllinois Tool最高裁判決で、司法が行政のほうに歩み寄って、この緊張関係を緩和したわけです。
米国のタイイン・ケースで、1947年以来ずっと争われてきた争点は、(1)
タイインが per se illegal
か rule of reason
か、(2)
知的財産権がタイング商品の経済力を推定させるかどうか・・というふたつの問題です。それぞれについて、もうすこし深く考えてみましょう。
3.per
se illegal か
rule
of reason か:
ここで per se illegal と rule of reason についての復習が必要でしょうか。米国のシャーマン法1条は日本独占禁止法3条後段に当たるのですが、「取引制限」が要件になっています。クレイトン法3条はモノとモノのタイインを違法としていますが、「競争の実質的減殺または独占形成の傾向」が要件になっています。日本でいえば「競争の実質的制限」です。
ただ、違法な取引制限のrule of reasonによる経済的立証は、手間がかかり、結果もはっきりしないことが多いで、判例は、いくつかの違法行為については、経済的立証を不要とし、その行為の存在さえ立証できれば当然違法(per se illegal)としています。per se illegalの行為としては、一般的に、@価格固定協定、A数量制限協定、B市場分割協定、C入札談合、D共同ボイコット、E垂直的最低価格制限協定、Fタイインという7種の行為類型がありますが、いずれも歴史的には動揺があり、そのなかでも、シカゴ学派からの攻撃がいちばん激しいのが、この最後のタイインです。
つぎに、いよいよ、問題の「知的財産権による経済力推定」です。タイインにはかならず2つの商品、つまり、抱き合わせる商品(タイング商品)と抱き合わされる商品(タイド商品)が関与します。タイインとは、タイング商品の経済力(economic
power)を利用してタイド商品を買わせることです。先ほどご紹介したLoew’s
1962をくりかえします。「タイング商品の経済力は、ユニークネスまたは消費者アピールで認定される。このことはタイング商品が特許や著作権で保護されている場合とくにあてはまり、十分な経済力が推定される」。知的財産権をミスユースや反トラスト法の規制から解放しようという政策目標を持ったシカゴ学派は、この「知的財産権による経済力の推定」という判例原則を強く批判してきました。
シカゴ学派の反対にもかかわらず、Jefferson
Parish 1984/Data General 1984はLoew’s 1962を追認しました。ただ、この後にでた司法省/FTCの1995年知的財産ライセンシング・ガイドラインは、Jefferson
Parishのこの部分を傍論(dicta)だとして相対化しています。
1988年の改正特許法271条(d)(5)[19]は、特許権者が、タイング商品で市場力(market
power)を持っていない場合に限って、タイインによる特許ミスユースを否定しました。くどい言い方ですが、立証責任が問題になった点なので、正確に言いました。ここでは、それまで判例でいわれていた経済力(economic
power)が市場力(market
power)にシフトアップしています。最高裁がこの特許法271条(d)(5)の類推解釈で、半世紀以上続いてきた知的財産権による市場力の推定という反トラスト法の判例原則を廃止したことは、最初に申し上げました。
私は、ここでよその国の最高裁判決を批判しようなどという不遜なつもりはありません。しかし、日本にもおおいに影響があるこのIllinois Tool最高裁判決の射程を見極めるため、最高裁の審理の中で双方が提出した準備書面やいろいろなアミカスで述べられた議論をベースに私見を申し上げることは、今後の問題提起としても有用ではないかと思います。
まず市場画定の問題です。最高裁は、特許はかならずしも特許権者に市場力を与えるものではないという経済的観察を判決の根拠にしたのですが、ここで問題になるのが市場の画定です。
Image
Technical 1992[20]はシャーマン法2条、日本でいうと独禁法3条前段の私的独占事件です。Kodakは、販売したコピー機の保守サービスを重要な収益源にしており、独立の保守業者を排除しようとして、いろいろ手を打っていたのですが、その中に特許部品の販売拒絶がありました。
ところで、「市場画定」という作業は、経済力(economic
power)、市場力(market
power)、独占力(monopoly
power/market dominance)を認定する上で、反トラスト法適用の大前提なのですが、司法省/FTCの1992年水平合併ガイドラインは、市場を、「ある仮想的な企業が、小幅ではあるが有意でかつ一時的ではない価格引上げ(small
but significant and nontransitory increase in price=SSNIP)を実行することが可能な製品またはその集合およびそれらが販売される地理的地域」と定義しています。このような値上げをして利益を得ることのできる力が「市場力」です。仮想的な値上げをしても買手が代替品に逃げられないような製品によって「製品市場」を画定するのです。製品市場を「特許製品市場」ととれば、この市場における供給者のシェアは100%です(「小さな市場」アプローチと呼ばれることもあります)。
Kodakのコピー機のシェアは10%程度しかなかったのに、裁判所は、市場を「Kodak製コピー機に使用可能な保安部品」と画定したため、そこでのKodakのマーケット・シェアはほぼ100%ということになり、シャーマン法2条違反が成立しました(「小さな市場」アプローチ)。アメリカ弁護士会(ABA)反トラスト分科会のハンドブックが言っています。「特許の存在は、典型的な関連市場分析と市場力評価を大きく変えた。・・Image Technical最高裁判決は、一つのブランドないし一種類の製品が、とくにその製品が一つの供給源からしか入手できない場合、それ自身で一つの独立の市場と考えられる状況が存在する可能性を認めた」[21]。
この「小さな市場」アプローチは、さっきのData General 1998でも使われました。顧客が特許製品にlock-inされた状態にあるとき――つまりスイッチング・コストが十分大きいとき――、特許製品を製品市場と画定したのです。ということは、タイインが有効に維持されているということ自体が、lock-inの存在を推定させるので、これでは「知的財産権による経済力(市場力)の推定」そのものではありませんか。
Illinois Tool事件の地裁差戻審では、互換インク・メーカーのIndependent Inkのほうが、特許プリンター・ヘッドの市場力を立証することになるのですが、きっとこの「小さな市場」アプローチを使ってきますよ。
つぎに市場力の問題です。最高裁は、特許がかならずしも特許権者に市場力を与えるものではないというAreedaやHavenkampfの学説を採用しました。たしかに、日本でいえば、登録特許の3分の2がだれも使わない――権利者自身も使わない――いわゆる休眠特許なので、そんなものがそれ自体として市場力を持つわけがありませんよね。
しかし、この言い方は両刃のナイフで、なにも特許一般のことでなく、タイインに利用されるほどの特許に限定したら、結論が違ってくるでしょう。だから、ここでは返すナイフで、タイインに利用されるほどの特許であれば市場力が推定されることになり、今回の最高裁判決が空振りになる――もともと、今回の最高裁判決のターゲットになっている一連の判例−−International Salt /Loew’s/Jefferson Parish/Digidyne−−も、特許と名がつけば経済力が推定されると言っていたわけではなく、タイインを維持できるほどの有力な特許では経済力が推定されると、当然のことを同語反復的に言っていたにすぎないのです。もとFTCチーフ・エコノミストで現ハーバード大学教授のF. M. Scherer(ポスト・シカゴ学派といわれる)が、Independent側のアミカスの中でそう言っています。
市場力(market power)についてもうすこし深く考えてみましょう。Illinois Tool最高裁判決の言葉を借りると、市場力とは、「買手をして、競争市場ではしないであろうことをさせる力」です。このような力はいろいろな形態を取ります。米国の文献では、これをワイロ(bribe)と脅し(threat)に分類することがあります。ワイロの形態としては、値引きやユニークネスなどよくあげられますが、あとで申し上げるネットワーク外部性もここにはいるでしょう。脅しの形態としては、販売拒絶や契約の拘束力や知的財産権などがよくあげられますが、あとで申し上げるインターフェイス独占もここにはいるでしょう。マイクロソフト事件におけるOSとブラウザーのタイインが、ネットワーク外部性とインターフェイス独占を市場力としたタイインでした。DRMやICタグを利用した物理的なタイインがこれからの問題ですね。
つぎに、今回のIllinois
Tool最高裁判決がライセンス拒絶問題に与える影響について考えましょう。特許法271条(d)(4)[19]をみてください。「ライセンス拒絶はミスユースにならない」と言っています。これはタイインと違って無条件です。
一般に、特許権のライセンス拒絶には、理念型でいって2種類あります。1つは、だれにもライセンスしないで、自分だけで市場を独占する形態で、製薬業界などでよく行われています。特許制度の原型はこちらのほうでしょうね。もう1つは、広くライセンスしておきながら、特定の相手にライセンス拒絶する形態です。このあとのほうの形態でのみ、タイインの手段としてのライセンス拒絶が意味を持ちます。
かりに、Illinois
Tool事件の地裁差戻審でタイング製品における市場力が立証されれば、タイインの手段としてのライセンス拒絶もミスユースになりますよね。だから特許法271条(d)(4)で無条件シロとされたライセンス拒絶というのは、上の第1の理念型だけだということになりますね。
それから、私が知るかぎり、ライセンス拒絶は主として反トラスト法の領域です。Illinois Tool最高裁判決のように、特許法271条(d)(4)を類推して−−ミスユースがシロで、反トラストがクロということはありえない−−ライセンス拒絶は、特許法で無条件シロなのだから、とうぜん反トラスト法でも無条件シロだ−−という論理で、ライセンス拒絶がぜったいに反トラスト法違反にならないということになるのでしょうか。
つぎに、「立法権の侵犯」というのはちょっとオーバーで、日本的におとなしくいうなら司法立法というのでしょうか。今回のIllinois Tool最高裁判決は、いわば特許法改正で反トラスト法の判例を変更したことになります。もしライセンス拒絶もそうだということになれば――まさかそうではないと思いますが――、権力分立制に触れることになります。といっても最高裁より上の審級はないわけだから、法律的にはなにも起こりませんが、政治的には問題になるでしょう。
1988年の特許法改正は、もともと、1988年オムニバス通商競争力法の上院案のなかにあったもので、これが両院協議会で否決されて一度消えたのに、会期末すれすれに特許商標庁職員の俸給法案と抱き合わせで急浮上して成立したものです[22]。提案者のKastenmeier議員は、「改正法は判例を変更していない」と言っています。これに不満な知的財産権ロビーの圧力で、以後2度にわたって、同内容の法案(Data General法案などと呼ばれていました)が議会に上程されたが、どちらも廃案になっています。
1988年オムニバス通商競争力法案は、反トラスト法を改正する意図はまったく持っていなかった−−議会の否定的意思が推測される−−ので、今回のIllinois Tool最高裁判決が、特許法改正の類推で反トラスト法の判例を変更したことは、政治的な反発を招く可能性があります。A. B. Dick 1912に対するクレイトン法3条、Mercoid 1944[23]に対する特許法271条(c)[19]など、判例原則を立法で変えようとする試みはすくなくありません。
つぎに今回の最高裁判決の射程をみてみましょう。判決は、地裁原告Independentに対して、特許インクヘッドにおける被告Illinois Toolの市場力を立証せよと言ってるだけで、司法省のいうrule of reason、つまり (1) 問題の取引制限が反競争的か、(2) 競争促進効果が反競争効果を上回るかどうかの経済的立証までは求めていません。もっとも、rule of reasonという証拠基準には幅があって、per se illegalでなければぜんぶrule of reasonですから、知的財産権ベースのタイインは、per se ruleに近いrule of reasonだということができるでしょうね。
ちょっとわき道にそれますが、ここで知的財産権制度の自浄機能ということについて考えてみましょう。Lexmark
2004[24]は、タイイン事件なのに、反トラスト法もミスユースも使わず、知的財産法の中だけで問題を解きました。地裁原告Lexmark社のレーザー・プリンターでは、トナー・カートリッジに装着されたマイクロチップ中のトナー・ローディング・プログラム(TLP)が測定したトナー残量を、プリンター本体中のプリンター・エンジン・プログラムが読み取って、使用ずみのカートリッジに他人がトナーを再充填してもプリンターが動かないようになっています。地裁被告Static
Control社は、TLPをコピーしたマイクロチップを製造して、トナー詰替え業者に販売しました。Lexmark社がStatic
Control社を著作権侵害で提訴。巡回裁は、Lexmark社のTLPを「ロックアウト・コード」と認定して、互換妨害というアイデアと一体(idea-expression
merger)であり、かつ機能によって強制される表現(scenes
a faire)だとして地裁仮差止命令を破棄しました。
WIREdata
2003[25]は、かねがねミスユースを反トラスト法に吸収すべきだと主張していたシカゴ学派の総帥Posner判事が書いたものですが、データベース・ソフトの著作権ライセンス契約で、著作物でないデータの利用を制限した行為をミスユースとし、データの利用を可能にするためのデータベース・ソフトの使用をフェア・ユースとしました。
米国の著作権法には自浄機能−−フェア・ユースとidea-expression merger−−が内在しているのですね。知的財産権の暴走を止めるブレーキは、米国では、ミスユースと反トラスト法とフェア・ユースという3重ブレーキになっています。ミスユース判例が少なく、フェア・ユース一般条項がない日本では、独占禁止法による知的財産権の押さえ込みが、米国以上に必要なのではないでしょうか。
ここでちょっと経済学のおさらいをしましょう。シカゴ学派は、タイインや価格差別にとどまらず、その上位概念である市場差別化を広く標的としています。シカゴ学派の論理を、このテーマの先駆的著作といわれるWard S. Bowman, Jr. のPatent and Antitrust Law[26]からまとめてみましょう。Bowmanは、知的財産権の動態的なインセンティブ効果を最大化するため、知的財産権者の報奨(reward)を最大化することを政策目標とします。
上の独占市場モデルでは、価格差別がない場合、知的財産権者(モノポリスト)は、限界費用曲線と限界収入曲線の交点の数量Qmに対応する価格(利潤最大化価格)Pmを選択します。この価格では、これ以上の価格でも買える顧客は望外の得をしたことになります。これが消費者余剰です(PmM、D、p軸で囲まれた図形)。これ以下の限界費用で供給できる供給者も望外の得をしたことになります。これが供給者余剰です(PnN、MC、p軸で囲まれた図形)。余剰が生じるのは、差別がないという前提のため、商品価格が1市場のなかで一義的にきまるからです(1物1価)。しかし、ここで、社会は、図形MNEで表される死重損失(deadweight loss)を受けています。これが知的財産権の社会的コストです。シカゴ学派の構想は、消費者余剰をも知的財産権者に獲得させることです。つまり、高くても買う人には高く売ります。そうすると、知的財産権者としてはもはや生産量をQmにとどめる理由はなくなり、自分の限界費用が許す限度のQeまで増産します。この場合は、いままで高くて買えなかった低所得層にも商品がゆきわたって、社会的な死重損失がゼロになります(均衡点E)。ただ、このためには、各階層の顧客間で横流しが起こらないような流通障壁が必要です。究極的には、顧客1人1人を隔てる障壁(perfect barriers)があれば、知的財産権者の報奨が最大になります。ほかの競争制限行為、たとえばカルテルや独占では価格をつりあげるとほとんど必然的に生産量が減りますが、価格差別では生産量が逆に増えます(つまり、価格差別の社会的コストを考えなければ、社会的効率が向上するというわけです)。シカゴ学派は、この構想を完全価格差別(perfect price discrimination)と呼びます。だからこの主張は同時に流通支配正当化論でもあります。流通支配を特約店契約でやってもあまり実効は上がりません。そこで知的財産権が出てくるわけです。タイインは価格差別の同類(つまり、ともに市場差別化market segmentationの一形態)なので、すくなくともper se illegalから外して、rule of reasonで判断すべきだというのです。
いままで古い話ばかりしていたので、ここからは、知的財産ベースのタイイン−−より広くは市場差別化−−が、私たちがこれから突入しようとしている情報化時代にとってどういう意味があるのかを考えてみましょう。ローテクの抱き合わせ時代から、ハイテクのインターフェイス時代へのちょうど移行期に、知的財産権による市場力の推定を、やや粗い論法で否定してしまったこのIllinois Tool最高裁判決には、タイミングとしても、いろいろ考えさせられるところがあります。
いま最も今日的な情報市場に目を向けると、そこでの主たる違法行為は、やはり、タイインをその一部とする市場差別化なのですね。有名なMicrosoft事件もタイインが主役でした(巡回裁でrule
of reasonになりましたが・・)。
どうしてそうなるのかいつも考えるのですが、情報市場における反競争的行為は、ほとんどがインターフェイスがらみです(別な角度からいえば、相互運用性(interoperabilty)妨害ですね)。インターフェイスという情報が、インク・カートリッジやOSのようなタイング商品と、インクやブラウザーのようなタイド商品とを結びつけています。だからインターフェイス情報を知的財産として保護すると、この結びつきが不可侵になって、内外に対して非常に強固なタイインができてしまうのです。
大宣伝しているコーヒー・メーカーを買ったことがあります。コーヒー・メーカーは安いのですが、コーヒーはカセット入りで、そのメーカーからしか買えません。カセットとコーヒー・メーカーの接合部分の構造(インターフェイス)について、実用新案が登録されていました。互換カセットを業として作ると実用新案権侵害になるというわけですね。
Sega
1992[27]で、原告Segaはゲーム・プレーヤーとカセットの両方を売っており、互換カセットを閉め出すため、カセットが一定のコード(インターフェイス)を実行しないとプレーヤーが反応しないようにしていました。被告Accoladeはリバース・エンジニアリングでこのコードを解析し、自分の互換カセットに搭載しました。しかるに、このコードを実行すると、プレーヤーの画面に、「Segaのライセンスに基づき製作」という表示が出て、商標の不実表示になってしまうのです。しかし、裁判所は、この商標を機能そのものだから執行不能として、Accoladeを勝たせました。
レーザー・プリンターのメーカーが、トナー・カートリッジに搭載したICタグによって、トナーの残量を測定して本体に送信し、トナー残量ゼロの場合本体がストップするようにして、トナー再充填(リサイクル)品を排除しようとする動きがあります。さらに、ICタグのコード(インターフェイス)を暗号化してリバース・エンジニアリングを不可能にし、コードを書き換えると著作権侵害になるというスキームで、インターフェイス独占によるプリンターとトナーの強固なタイインを形成しようとしているようです(前掲Lexmark
2004参照)。
情報市場の最大の構造的特徴は「ネットワーク外部性」だといわれます。需要サイドの規模の利益とか、収穫逓増の法則などとも言われます。これの2財モデルであるコンピューターでは、OSのシェアが大きくなるほど、そのOSの上で動くAPの数が増えて、そのことが逆にそのOSのシェアを押し上げていきます(正のフィードバック)。WindowsとOfficeやInternet
Explorerの関係はあきらかにこのケースですね。2財のネットワーク外部性を媒介する情報がインターフェイスです。コンピューターの場合は、マイクロソフト事件の用語ではAPI(Application
Program Interface)です。だから、タイング商品市場におけるネットワーク外部性が、インターフェイスを介して、タイド商品市場における市場力(market
power)に転化するというわけです。
インターフェイスにネットワーク外部性が働く市場では、需要サイドの規模の利益によって、そのインターフェイスが独占力(monopoly power)を持ちます。インターフェイスが知的財産権保護を受けている場合は、その権利者がタイング商品とタイド商品の両方の市場を独占します。さっき、市場力のところで申し上げたことを繰り返すのですが、Illinois Tool 最高裁判決の言葉を借りると、市場力とは、買手をして、競争市場ではしないであろうことをさせる力です。このような力はいろいろな形態を取ります。ワイロ形態としては、値引きやユニークネスなどのほかにネットワーク外部性、脅し形態としては、販売拒絶や契約の拘束力や知的財産権などのほかにインターフェイス独占があげられます。Microsoft事件におけるOSとInternet Explorer、OSとWindows Media Playerは、ワイロのネットワーク外部性と脅しのインターフェイス独占を市場力としたタイインでしたね。今後でてくるのは、ICタグや後述のDRMのような物理的強制−−物理的な鍵をかけたインターフェイスによる市場差別化の問題でしょうね。
これらの独占シナリオについてふたつのアプローチで考えましょう。ひとつは、この独占をほどくために知的財産権を強制ライセンスします。そうすると、強制ライセンスによって独占利潤をとれなくなるという予想のもとに、だれもインターフェイス開発のためにイノベーション投資をしなくなるというシナリオです。もうひとつは、インターフェイスを独占しても、次のイノベーションが起こってその独占が崩れるので、中期的には独占の弊害がなくなるというシナリオです。ここでおおざっぱな概念分類をしてみましょう[27.5]。
|
イノベーション抗弁なし |
イノベーション抗弁あり |
ネットワーク外部性なし |
古典的ケース |
知的財産権の最適保護 |
ネットワーク外部性あり |
自然独占と規制 |
IT市場 |
ネットワーク外部性もない、イノベーションもないという古典的市場が、独占禁止法が考えている――私が法科大学院で教えている――世界です。ネットワーク外部性があって自然独占になるけどもイノベーションはないという世界が、電力のような市場で、ここでは独占を制御する手段は政府規制しかありません。イノベーションはあるけれども、ネットワーク外部性はないという市場が、知的財産権の世界で、独占の弊害とイノベーションのインセンティブのバランスをどこにとるかという課題があります。最後に、ネットワーク外部性があり、かつイノベーションにさらされているという市場が、今日の話のIT市場です。ここでは市場画定や略奪やタイインといった古典的な反トラスト概念は通用しないという批判が、とくに経営学者などから出されています[27.7]。Microsoft事件の巡回裁判決はこの批判を受け入れたものになりました。
Microsoft事件の巡回裁判決は、インターフェイス情報の公開を命じました。これではあたらしいインターフェイスの開発に投資する者がいなくなるというインセンティブ論の主張に対しては、インターフェイス情報が方式にすぎず、生産的な意味での技術ではないという答えを返しましょう。インターフェイス独占がイノベーションによって崩れるというオプティミズムに対しては、独占が、いつも、自らを脅かすイノベーションを阻み、逆に独占を永久化するイノベーションに大投資しているという経験則から答えを返しましょう。
米国のMicrosoft事件はOSの支配的事業者によるブラウザーの支配を、EUのMicrosoft事件はおなじくメディア・プレーヤーの支配を、いずれも競争法違反として問擬した事件でした。ブラウザーはもう過去の事件になりましたが、メディア・プレーヤーはまだまだこれからです。いま情報市場に関する最大の関心事は、Microsoftがはたしてこのメディア・プレーヤーをも支配できるのか、さらにそれを利用してコンテンツ市場をも支配できるのかという問題でしょうね。映像コンテンツはまだまだこれからなのですが、Illinois Tool事件は特許事件だったのに、最高裁あてのアミカスの中には、映画業界やテレビ業界からのものもありました。業界は、Illinois Tool事件の判決次第では、Loew’sが修正されるので、半世紀続いた映画業界とテレビ業界の勢力均衡が崩れるとみていたのです。
ここではケース・スタディとして、まだまだ先が見えない映像コンテンツではなく、すでに市場が動き出している音楽コンテンツのネット配信をとりあげましょう。ここで鍵を握る技術がCodecとDRMです。
コンテンツのネット配信で必要なものにCodecというプログラムがあります。Codecはcompression-decompression
(coding-decoding) programの略で、コンテンツをまず配信側で圧縮し、ユーザー側でこれを伸張するプログラムのことです。いわばリアル音楽とネット音楽のインターフェイスです。異なるCodec間で競争が起こります。
一方、コンテンツを財産権として擬制するための一つの方法として、さまざまなDRM(Digital
Rights Management)システムが用いられています。ここで私が皆様のご注意をうながしたい問題点は、最近のDRMが、その本来の目的であったコピー防止を超えて、流通支配マシーンの性格を帯び始めていることです。配信した音楽の保持時間、コピー回数、メールや外部媒体への転送の可否、MP3(後述)への変換の可否、視聴可能地域、年齢、性別などなど、こまかく分割支配できます。タイインどころか、シカゴ学派が夢にみた完全価格差別が、ロボットによって可能になっているのです。あたらしいゲーム機では、中古ソフトや借りたソフトがかからないようになっているものがあるという噂があります。いまどこのPCソフトでもやっているactivationもそうですが、これほどの市場歪曲は、著作権の行使(独占禁止法21条)で正当化できる範囲をはるかに超えているではないでしょうか。
間口も広がっています。DRMはデジタル形式のあらゆる情報に適用され、(1)
著作物ではない事実情報や
(2) 著作権の保護期間が満了した作品などパブリック・ドメインに属する情報までコンテンツ供給業者が囲いこめるばかりでなく、(3)
著作権法30条以下に規定する家庭内使用や教育用使用などまで技術的に制限できる可能性をも開きました[28]。
一般にはCodecとDRMと再生ソフトが一体となって供給されています。
供給者 |
Microsoft |
Apple |
Real Networks |
オープン・ソース |
Codec |
WMA |
AAC |
AAC |
MP3 |
DRM |
DRM10 |
Fair Play |
Helix |
なし |
対応OS |
Windows/Linux |
Windows/MacOS |
Windows/Mac/Linux |
Windows/Mac/Linux |
Codecのなかで一番広くユーザーに使われている(圧縮音源のユーザー保有数が一番多い)のはオープン・ソース(ソース・コードが公開されている)のMP3で、個人間の送受信やNapster/KazaA/WINNYなどの無料音楽交換に使われています。ただし、これはオープン・ソースなのでDRMになじみません。
有料配信では、供給形態がクローズドのAppleを除き、ほかの事業者はほとんどすべてWindowsにバンドルされているWMA(Windows
Media Audio)です。ネットワーク外部性から考えると、OSやブラウザーのときと同じくWMAがいずれ市場を制圧しそうですが、ここでは事情が違います。MP3という圧倒的な先住民がいるのです。つまり、ネット音楽市場では、大量の無料商品と競争しなければならないので、有料商品の価格が、品質(音質と使いやすさ)による付加価値分だけをプレミアムとする均衡価格にまで下落するのです。
DRMによる完全価格差別を夢みるコンテンツ供給業者としては、DRMになじまないMP3をなんとか抹殺したいのでしょうが、簡単ではありません。世界に類のない送信可能化権を創設しても、特定少数のグループ内でのp2pはとめられません(著作権法2条1項9号の5/5項――たいていの人は複数のグループに属しているので、音楽はグループからグループへ拡散していきます)。圧縮率ではMP3の1/11よりWMAの1/20のほうがいいのですが、ブロードバンド化やメモリーの大容量化により、圧縮率はあまりメリットではなくなっています。
いま音楽コンテンツにおける最大の法的問題はp2p(個人間の音楽交換)ですが、これの基盤がMP3です。ここではproprietaryつまり財産的保護を受けるインターフェイスと、オープンソースのインターフェイスが競争しています。競争当局としては、この競争がフェアに行われるよう確保する責任があります。Microsoft事件では、OSに依存しない準オープン・ソースのプログラム言語Javaを、Microsoftが非汎用の改悪版を作って封殺しようとするこころみがありました。最近のマスコミのWINNY皆殺しキャンペーンには、WINNYのCodecであるMP3を抹殺したい旧メディアの陰謀を感じさせられるところがあります。情報市場における圧倒的な独占への潮流を中和できる唯一の反流がオープン・ソースです。
情報化時代を目の前に控えて、私たちはいま大きな岐路に立っていると思います。
ひとつの道は、このまま成り行きにまかせて、ネットワーク効果によって作り出される水平的な独占が、インターフェイス独占によるタイインを通して垂直的な独占をも獲得し、モノポリストが情報市場を好きなように支配するのを許すというシナリオです。
もうひとつの道は、この過程のなかでどこか最も費用効果比の高いクリティカル・ポイントに競争当局が介入して、せめて最終的な情報市場の私的囲い込みを抑止するというシナリオです。Microsoft事件の巡回裁は、会社分割を費用効果比の観点からしりぞけ、インターフェイス情報の公開を命じました。私事で恐縮ですが、私は、自分自身のつぎの課題をICタグやDRM−−つまりロボットによるタイインや流通支配−−の問題だと思っています。ご静聴ありがとうございました。
[1] Illinois Tool Works, Inc., et al v. Independent Ink, Inc., 2006 U.S. LEXIS 2024 (S.Ct., March 2006).
[2] International Salt v. U.S., 332 U.S. 392 (1947).
[3] U.S. v. Loew's, et al., 371 U.S. 38 (1962).
[4] Jefferson Parish Hospital v. Hyde, 466 U.S. 2 (1984).
[5] Digidyne v. Data General, 734 F. 2d 1336 (9th Cir. 1984), cert. denied 473 U.S. 908 (1985).
[6] Independent Ink, Inc. v. Illinois Tool Works, Inc., et al, 396 F.3d 1342 (Fed. Cir. 2005).
[7] United States Steel Corp. v. Fortner Enterprises, Inc., 429 U.S. 610 (1977).
[8] Heaton-Peninsular Button-Fastener v. Eureka Specialty, 77 F. 288 (6th Cir. 1896).
[9] Henry v. A. B. Dick, 224 U.S. 1 (1912).
[10] 「商品の呪物的性格(fetishism of commodities)」カール・マルクス、大内訳『資本論−−経済学批判』(大月書店1968年)1部1編1章4節。
[11] Motion Picture Patents v. Universal Film Manufacturing, 243 U.S. 502 (1917).
[12] 合衆国憲法1条8項8号(抄):「[人民は議会に対してつぎの立法をおこなう権限を与える:]著者や発明者に対して、一定期間、彼らの著書や発見に対する専有権(exclusive Right)を与えることによって、科学や有用技芸の発達を促進すること」。
[13] Carbice v. American Patent Development, et al., 238 U.S. 27 (1931).
[14] Leitch Manufacturing v. Barber, 302 U.S. 458 (1937).
[15] Morton Salt v. G. S. Suppiger, 314 U.S. 488 (1942).
[16] B. B. Chemical v. Elmer Ellis, 314 U.S. 495 (1942).
[17] International Salt v. U.S., 332 U.S. 392 (1947).
[17.5] Laitram v. King Crab, 244 F. Supp. 9 (D. Ala. 1965).
[18] E.g., JACK HERSHLEIFER, et al., PRICE THEORY AND APPLICATIONS, 5th ed. (Prentice Hall, 1992) at 227.
[19] 特許法271条(抄):(a)−(b) 略。
(c) 特許機械/製造物・・の部品、もしくは特許方法の実施に使用する材料または装置が特許発明の実体的部分を構成する場合において、それらがかかる特許の侵害のために特別に作られ、または特別に改造されたものであり、もしくは実質的な非侵害使用に適した汎用品または商用品でないことを知って、それらを売るものは、寄与侵害者として有責である。
(d) 本来であれば特許権侵害や寄与侵害からの救済を受ける資格のある特許権者は、彼がつぎの行為のいずれかをおこなったからといって、救済を拒否されたり、ミスユースや特許権の違法な拡張で有罪とされることはない:
(1) 彼の許可なしに他人がおこなったとしたら特許権の寄与侵害になるような行為から収入を得ること;
(2) 彼の許可なしに他人がおこなったとしたら特許権の寄与侵害になるような行為につき、他人にライセンスし、または権限を与えること;
(3) 侵害または寄与侵害に対して彼の特許権を行使しようとすること;
(4) 特許権のライセンスや使用を拒絶すること;
(5) 別の[タイド]特許権ライセンスや製品の購買を、[タイング]特許権ライセンスや特許品の販売の条件とすること。ただし、これは、その状況に応じて、特許権者が[タイング]特許や特許品の関連市場で市場力を持っていない場合にかぎる。
[20] Eastman Kodak v. Image Technical Services, 504 U.S. 451 (1992).
[21] SECTION OF ANTITRUST LAW, AMERICAN BAR ASSOCIATION, THE ANTITRUST COUNTERATTACK IN PATENT INFRINGEMENT LITIGATION—ANTITRUST PRACTICE HANDBOOK SERIES (1994)
[22] DONALD S. CHISUM, PATENTS (Matthew Bender 1991) at 19-101:「この改正法の上院案は、『反トラスト法に違反する場合を除き、特許権者は、彼のライセンス慣行、作為、不作為のゆえにミスユースで有罪とみなされない』として、ミスユース法理を事実上廃止することをねらっていた」。
[23] Mercoid v. Mid-Continent Investment, 320 U.S. 661 (1944).
[24] Lexmark Int'l, Inc. v. Static Control Components, Inc., 387 F.3d 522 (6th Cir. 2004).
[25] Assessment Technologies v. WIREdata, 350 F.3d 640 (7th Cir. 2003).
[26] WARD S. BOWMAN, JR., PATENT AND ANTITRUST −− A LEGAL AND ECONOMIC APPRAISAL (University of Chicago Press, 1973).
[27] Sega Enterprises v. Accolade, 977 F.2d 1510 (9th Cir. 1992).
[27.5] 競争政策研究センター共同研究――ネットワーク外部性の経済分析)(2003年9月)より。
[27.7] E.g., Richard Schmalensee, Antitrust Issues in Shumpeterian Industries, AMERICAN ECONOMIC REVIEW. v. 90, n. 2, May 2000, 192-6.
[28] DRMは本質的には性能抑圧システムなので、全メーカーが採用しない限り維持は不可能である。そのためには法律(たとえばSCMSなら米国家庭内録音法Audio Home Recording Act, 17 U.S.C.S.§1001)による強制−−de jure standard−−が必要であるが、これを業界内や業界間の合意で、またはマイクロソフトのような独占的供給者の市場力を利用して−−de facto standardで−−強行するケースがある。本稿の主題からははずれるが、憲法21条「表現の自由」に接触する可能性もある。