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本間忠良 衝撃の新刊 知的財産権と独占禁止法−−反独占の思想と戦略
経済法あてはめ演習60選(日本語)Antimonopoly Act Exercise 60 Cases
情報革命についてのエッセイとゴシップ(日本語) Essays and News on Information Revolution
デジタルコンテンツの覇権をめざすインターネットの競争戦略
――「自動公衆送信事業者」の政治武装・法武装のすすめ(講演原稿)
2006年12月6日於
本間忠良
あて先(アドレッシー):「自動公衆送信事業者」(著作権法にはまだこの言葉はない=デジタルコンテンツ配信事業者、インターネット・サービス・プロバイダーなど)、アーティスト、消費者(とくにp2pユーザー)、ハード・ソフト・メーカー、広告事業者など、インターネットによるコンテンツ流通促進に関心ある人。
背景:日本における著作権の過剰行使(DRMはだれの味方か)。テレビ産業の地域独占性。旧メディア(とくにテレビ産業)保護の反進歩・反文化性。デジタル通商問題(SCMS、放送フラグ、EU放送指令、仏DADVSI、TRIPS/WCT/WPPT)。
要点:「自動公衆送信事業者」の政治武装・法武装の必要性。
政治武装:著作権神格化の克服(著作権の強化とアーティストの利益は必ずしも比例しない――収穫逓減則)。送信可能化権の廃止ないし抑止。公正利用一般条項の確立ないし公正利用特殊条項(一時固定・政治目的等著作権の制限)の獲得。プライバシーの権利。アクセス・コントロール保護廃止。
法武装(上記政治目標未達成の間):1条目的解釈、権利濫用(「準則」)、独占禁止法。
目次
はじめに:
実は、10日ほど前、明治大学でおこなわれたJASRACの寄付講座で、「デジタルコンテンツと競争政策」という話をしました。これは「政策」ということで、あて先(アドレッシー)としては、政策担当者、とくに経済産業省のコンテンツ産業推進課をターゲットにしたものでした。「政策」ですから、関係グループそれぞれがバランスよくハッピーになるよう、コンテンツ流通における競争促進を訴える内容でした。実は、ここでの講演を依頼された時、同じことを話す気はしないし、といって違うことを話すのはしんどいので、お断わりしようかと思ったのですが、あることに気がついて、結局引き受けました。
「あること」というのは、過去10年間の国の政策決定にあたって、旧メディアのロビイングが非常に強烈だったのに対して、ニュー・メディアからの発言がほとんど皆無だったことです。
下の表を見てください。もうご存知の方はご容赦ください。これは、著作権法でいう「公衆送信」の内訳を表にしたものです。影をつけたセルがインターネット配信で、著作権法の用語では「自動公衆送信」といいます。
公衆送信 |
モード 手段 |
一斉 (同一内容同時受信) |
個別 (オンデマンド) |
無線系 |
放送 |
CSによるインタラクティブ配信など |
|
有線系 |
有線放送 |
自動公衆送信(インタラクティブ)など |
私がここでニュー・メディアといっているのは、インターネット事業者のことです。それから、私がインターネット事業者というときは、事業者ではないのですが、p2pユーザーも含みます。ニュー・メディアでは、いままで事業者と消費者を隔てていた壁が崩れつつあるのです。
インターネット事業者は、著作権法では「自動公衆送信事業者」ということになるのでしょうが、この言葉はまだ使われていません。「著作者」、「レコード製作者」、「放送事業者」、「有線放送事業者」、「実演家」は、すべてそれぞれ著作権か隣接権を持っていますが、インターネット事業者は、著作権法上は一人前の法主体ではないのです。
先年、当時の竹中総務大臣が、「すでに放送された番組がなぜパソコンで見れないの?」という疑問から、研究会を立ち上げましたが、これの結論は、「そんなことは著作権法上不可能だ」というものでした。仕方がないので、IPマルチキャストというただの有線放送を持ち出してお茶を濁しましたが、問題はぜんぜん解決していないし、解決する見込みもありません。
ではどうなるかというと、インターネット事業者が、くだらないテレビ番組の再送信などではなくて、コンテンツの自主制作を始めることになります。もともとテレビ番組の大部分は、テレビ局ではなくて、専門のスタジオが作っているのですから、お金さえ出せば、スタジオをいくらでも引き抜くことができます。
コンテンツの制作も、いままでの労働集約型・スター依存型ではなく、インターネットでどんどん変わっていきます。YouTubeのブログは、テレビ番組のコピーのようなくだらないものも多いのですが、ときどきはっとするような短編作品がありますよ。
ところが、自主制作のコンテンツを自動公衆送信したら、誰かが――もしかしたらテレビ局が――無断コピーするかもしれません。インターネット事業者は何の権利も持っていないので、これを阻止することができません。せめて複製権、公衆送信権、公の伝達権は持たなければビジネスになりません。それとも、旧メディアの後追いはやめて、はじめからオープン・ソースやクリエティブ・コモンズを前提にした革命的なビジネス・モデルをめざしましょうか。
インターネット事業者は、まだ、自分が何なのか、何を求めているのかという鋭いアイデンティティを持っていないようです。旧メディアの方は単純です。ニュー・メディアの到来を1日でも遅らせることです――単純は力なりです。だから過去10年間、国の「政策」は一方的に旧メディアの権利の強化に突っ走っていたのです。
このことに気づいたので、このバランスを取り戻すきっかけを作るため、このスピーチを引き受けたというわけです。ですから、このスピーチは、「政策」ではなくて「戦略」を提案しています。旧メディアの強烈なロビイングに対抗するため、ニュー・メディア(インターネット事業者)の、政治的・法的再武装の戦略を提案しています。それが、インターネット事業者だけでなく、デジタルコンテンツ産業全体、ひいては日本のポップ・カルチャー全体の活性化/利益につながると信じています。
「政治的」、「法的」な議論の前に、「倫理的」な問題に決着をつけていただきたいと思います。ネットに書き込まれている議論をみていると、ニュー・メディア(インターネット事業者)のほうで、まだまだ倫理的な決着がついていませんね。旧メディアは、「著作権保護が弱いと、創作の意欲がわかない。だから、創作を促進するには、著作権保護をもっともっと強くしなければならない」という単細胞な主張を、それだけをいつも大声で叫んでいて、ニュー・メディアの人たちも、けげんな顔をしながらも、ある程度それを信じているらしいのですが、この論理にはいくつもの欠点があります。
これは今日の本題ではないので、ひとつだけ言いましょう。著作権の保護も、収穫逓減の法則という物理的法則に服します。著作権は独占権ですから、独占的利益を作り出し、これが創作のインセンティブになります。しかし独占はそれ自体、社会的非効率(deadweight
loss)を生み出します[1]。ここまではみんなのコンセンサスだと思います。ただ、インセンティブ効果のほうは収穫逓減則に服しますが、社会的非効率のほうは保護の強度に比例します[2]。
だから著作権保護は強いほど社会にとっていいというのはまちがいで、どこかに最適値[3]があるはずです。いま日本でも著作権の保護期間延長のロビイングがはじまっていますが、米国の「法と経済学」のリーダー格であるランデス教授とポズナー判事がおもしろい試算をしています[4]。いま、著作権者が、保護期間中1年に1ドルづつロイヤルティをもらうとします。年利i=10%とします。保護期間を永久とすると、この著作権者のロイヤルティの現在価値r=1/i=10ドルです。保護期間t=25年とすると、これの現在価値r=(1-(1+i)-t)/i
=9.08ドルになって、永久保護との差が1割以下になります。これ以上保護期間をいくら伸ばしてもロイヤルティの現在価値(インセンティブ効果)はほとんど増えません。このへんが保護の最適値なのではないのでしょうか。
著作権神格化という倫理的な卵の殻が取れたところで、わたしたちインターネット事業者にとって、長期的かつ政治的な目標はなにかを考えてみましょう。「自動公衆送信事業者」は、潜在的には、じつは、すごい政治力を持っているのです。最近終わった米国の中間選挙では、政治ツールとして、いままでのテレビにとって代わって、YouTubeが大活躍しました[5]。
政治武装といえばとうぜん立法論です。ここで私のターゲットは、@送信可能化権、A公正利用一般条項、B公正利用特殊条項(一時固定、政治目的等著作権の制限)、Cプライバシーの権利です(もっとあるかもしれませんが・・)。
さて本題にはいりましょう。まず送信可能化権を考えましょう。米国では音楽でも動画でも、インターネットによる流通が始まり、爆発し、海賊版の被害が顕著になってきてから、たいへんな議論の結果やっと立法し、海賊版を押さえ込みます。このあとに巨大な市場が残ります。これに対して、日本では、市場がぜんぜん立ち上がっていないのに、官僚や業界団体の「いい子ちゃん症候群」や「点数稼ぎ」のおかげで、規制だけが先走って、結局市場が立ち上がらず、旧メディア保護法制だけが残ります。送信可能化権がその典型です。
デジタルコンテンツ産業といっても、まだどこの国でも、エスタブリッシュされたものはありません。いずれはこれが巨大な産業になるという見通しのもとに、各国とも、新旧メディアが入り乱れて先陣争いをしているところです。ただ、そのなかでも、インターネットによるコンテンツ流通に関しては、米国が圧倒的なエネルギーを見せています。Napsterが2年で6,000万人の会員を集めました。これが違法化されると、この6,000万人は、第2世代ファイル・シェアリングのGrokster/Morpheus/KazaAに流れました。これも違法化されつつある状況[6]で、この一部が、私も含めて、iTMS(i-Tunes
Music Store)に流れ、その中のビデオ派がYouTubeを離陸させました。
米国でのこのポピュリスト・エネルギーの爆発にくらべて、日本では、ファイルローグもwinnyも、離陸する前に撃墜されています。音楽のインターネット配信も、米国勢のiTMSに圧倒されています。どうしてこうなるのかいつも考えてしまうのですが、結局、日本のコンテンツ産業が、著作権の過剰行使で自滅しているという見方に落ち着きます。
インターネットでは米国が数年先行しているのですが、米国では市場の爆発があってから規制が追いかけてくるのに対して、数年遅れの日本では、官僚や業界団体が、米国のまねをして、市場の立ち上がりの前に規制をかけるという行動が定着しています。こういうのを嬰児殺し(infanticide)といいます。市場が立ち上がる前に規制が先まわりして、市場爆発に至らないのです。産業的には後進国なのに、意識だけは先進国なのですね。
送信可能化権は、もともとインターネットなど影も形もなかった1986年、テレテキストや通信カラオケなどを取り締まるために有線送信権という権利を創設したのですが、それをずるずる膨張させて、1997年、送信可能化権という、米国にもないオールマイティな権利を創設して、旧メディア全員に投げ与えました。WIPOの著作権条約(WCT)、実演・レコード条約(WPPT)調印の半年後、発効の4年前という信じられない速さでした。なんのためにこんなものを作ったのかと思って教科書をみたら、無断複製の予防だと書いてありました[7]。予防なら予防の分際を守ってくれればいいのに、いまでは著作権の主役になったつもりで、すでにファイルローグの民事訴訟、winnyの刑事告発の根拠法として、そしていま動画ブログの事前フィルタリング要求の根拠として[8]、大活躍中であることはみなさまよくご存知のことと思います。
いま放送番組のインターネット配信が現実化してくると、送信可能化権はテレビ局自身にとっても手かせ足かせになっているのですが、これをはずそうとして著作権法を改正すると条約違反になる[9]という自縄自縛になっています。はじめから軽率な政策でした。著作権法の先生や官僚はそれを認めないでしょうがね・・。インターネット後進国の日本が、規制ばかりで世界に先行しているのです。
日本の送信可能化権の功罪は、いずれ歴史が決めるところでしょうが、さしあたり目につく特徴は、送信可能化権について、日本だけが世界の中で突出しているということです。条約だから従わなければ・・とおっしゃるでしょうが、WIPO両条約はもともと日本がイニシアティブをとったもので[10]、どうしてもお手盛りの失敗だったように思います。
米国は両条約の調印国ですが、さすがに、送信可能化権などというオールマイティな私権の創設を嫌って、ダウンロードしてCDに焼く行為を複製権と譲渡権の侵害とし、利益目的だからという理由で公正利用抗弁を否認して、やっと音楽CDの無料交換p2pサイトを違法化しているという状態です。これでは、ストリーミングやブログへのアップロードには手が出ないでしょうね[11]。米国はそれでいいと思っているのです。米国のこのスロー・ペースはわざとやっているというか、コモンローの知恵ではないかと思います。このスロー・ペースを利用して、情報革命のエネルギーが別のフロンティアをみつける余裕を与えているのです。
対照的に、日本では、条約上の義務でもないのに、2002年、放送事業者にも送信可能化権を与えましたが、現在WIPOでこれを追認する新条約の交渉を進めており[12]、世界の潮流からますます離れようとしています。
インターネット事業者としては、送信可能化権の廃止、どうしてもそれができないのなら、これの押さえ込みを政治目標とすべきではないのでしょうか。
あまりにも硬直的な著作権の押さえ込みは公正利用(フェア・ユース)権の役目ですが、ご承知のように、日本の著作権法には公正利用の一般条項がありません。著作権法30条以下に限定列挙した場合と態様に限って、著作権が制限されるという法制です。これは、いまのように情報技術の進歩が早く、法律が予想もしていなかったアプリケーションが出現したとき、それを公正利用として著作権を制限するためには、いちいち法律改正をしなければならないということを意味します。法律改正のためには審議会を開いて利害関係者の意見を聞くので、古いアプリケーションに依存して生計を立てていた旧メディアがかならず反対して、改正には何年もかかり、権利の制限もこっけいなほど限られたものになります。
あまりにも馬鹿らしいので時間が惜しいのですが、例を挙げましょう。送信可能化権はオールマイティの禁止権なので、聴覚障害者のために放送された音声を文字にして送信可能化することも禁止されていました。これを指摘された当局は、あわてて著作権法37条の2で、聴覚障害者用だけに限って送信可能化権を制限しました(2000年)。じゃ視覚障害者のために文字情報を音声にして送信可能化するのはどうかというと、それは法律がないからだめだというわけです。35条は教育用の複製を許している条文ですが、遠隔授業のための送信可能化はどうするのといわれて、2項で、同時送信に限ってそれを許すということにしました(2003年)。すこしの時差でもあったら、複製になるからだめだというわけです。著作物の学校放送は公正利用なのに(34条)、ネット配信は学校用でもダメだという典型的なネットフォービアです。
子供のピアノお稽古風景を音声入りでblogにアップすると、作曲家の送信可能化権を侵害します(バイエルなら著作権が切れていますが、中田義直はだめ)。これはどう考えても公正利用ですが、送信可能化権を制限してくれる条項はどこにもみつかりません(30条、38条1項、35条2項いずれも使えません)。私が間違っていたら教えてください。この国はどこへ行ってしまうのでしょうね。
こんなのをふくめ、そのほか考えられるすべてのアプリケーションについて、米国のような公正利用の一般条項さえあれば、即刻それが使えるのに、日本ではいちいち審議会を開いてこんな矮小な法律改正をするため、かならず何年か遅れます。その遅れによるに経済的・文化的損失は膨大なものでしょうね。
米国著作権法107条は、「批評、注釈、報道、教育・・、学問、研究のような目的の著作物の公正利用は、複製・・その他いかなる手段によるものでも・・、著作権の侵害ではない。ある利用が公正かどうかを(裁判所が)決めるファクターには、(1)・・利用の目的および性質、(2)その著作物の性質、(3)その著作物全体との関連で、利用される部分の量および実質性、(4)利用が、その著作物の潜在的市場または価値に与える影響・・を含む」(下線・かっこ追加)」と規定して、これによって、あたらしいアプリケーションが出現すると機敏に判決が下され、判例が形成されます。重要な判例があります。
Sega
Enterprises v. Accolade, 977 F.2d 1510 (9th Cir. 1992):地裁被告Accoladeは独立のソフトウエア・ハウスで、原告Segaのゲーム機Genesis-III用ソフト製作を企図してはじめSegaと交渉したが、Segaがソフトの権利買上げ方針に固執したため、ライセンス取得を断念、リバース・エンジニアリングに転じた。リバース・エンジニアリング手法としては、まず、Sega機用ソフト3本を購入、これを逆コンパイラ・システムにかけてソースをプリントし、つぎに、3
本のソースを比較分析して共通コード(インターフェイス仕様)を抽出、それをマニュアル化し、最後に、別な技術者グループにこのマニュアルを与えて互換ソフトを製作させるという形態である(クリーン・ルーム)。1992年4月、北部加州連邦地裁は、「リバース・エンジニアリングの過程で複製行為がおこなわれた」という原告Segaの主張を認め、著作権侵害で仮差止命令を発したが、被告Accoladeは、以下の4点を主張して控訴:(1)アイデア抽出にともなう複製行為は、アイデア不保護原則(§102(b))によって非侵害。(2)オブジェクトを人間が理解するには逆コンパイルが必要だから、アイデア/表現不可分によって非侵害。(3)プログラム使用にともなう複製(§117)は非侵害。(4)逆コンパイル/逆アセンブルは、それが、アイデアへのアクセスのための唯一の手段(no
other means)であり、また合法的な目的のために行われる場合、「公正利用(§107)」によって非侵害。1992年10月、第9巡回裁は、被告Accolade主張のうち(1)〜(3)をはっきり否認しつつ、(4)「公正利用」を政策的目的によって解釈して、地裁の仮差止命令を差し戻した。
もうひとつ、さっきのポズナー判事が書いた判決をご紹介しましょう。これは公正利用と、あとでご説明する権利濫用がいっぺんにでてくるので便利な判決です。
Assessment
Technologies v. WIREdata, 350 F.3d 640 (7th Cir. 2003):ウィスコンシン州のいくつかの市町村は、財産税評価目的で住民の家屋を全数調査し、原告AT作成のデータベース・プログラム「マーケット・ドライブ」(Microsoft
Accessベース)に入力していた。被告WIREは、情報公開条例に基づいて、これの原データを請求(不動産販売目的)。市町村はATとのライセンス契約で原データの公開も禁じられているとして拒否。ATがWIREに対して著作権侵害予防の差止請求。巡回裁(Posner判事)は、「著作物でない原データの開示を著作権ライセンス契約で制限することは著作権の濫用である(WIREが取引制限を立証したら、反トラスト法違反も成立する可能性があった)。開示のために必要なプログラムの使用は公正利用として許される」としてWIREを勝たせた。
いまのように情報技術の進歩の早い時代では、あらゆるアプリケーションを何年も前に見通すことなどだれにもできません。日本に公正利用の一般条項がないことは、米国にますます差をつけられていくことになります。
2.3.公正利用特殊条項(一時固定、政治目的等複製権の制限):
ただ、日本のような国で公正利用一般条項を採用することは不可能ないし長い年月がかかります。その間は部分的な特殊条項で我慢するしかありません。さしあたりインターネット事業者が必要な特殊条項を考えてみましょう。さっきの聴覚障害者や同時遠隔授業のような・・ですね。
その前に、著作権者やいろいろな隣接権者が、いままで激烈な政治闘争の結果到達した一定の休戦状況をみてみましょう。要するに、旧メディア間の平和条約です。これらの平和が、インターネット事業者にはまったく与えられていないという問題意識です。著作権法の復習になるので、六法をお持ちのかたは見てください。
まず、著作権法16条で、映画の著作者とは、制作、監督、演出、撮影、美術等を担当してその映画の著作物の全体的形成に創作的に寄与した者、つまりモダン・オーサーたちです。しかし、これでは後々の流通に困るので、一般の映画著作物であれば、29条1項によって、モダン・オーサーたちの著作権は(すべて)映画製作者に帰属します。
俳優(実演家)も、91条2項で、自分が出演した映画については、あとで録音録画権を主張できません。これをワンチャンス主義といいます。だから映画製作者が全権を握って、二次利用についても映画製作契約で処理しています。
ところが、放送事業者は、29条2項で、自分が放送のための技術的手段として製作する映画の著作物、つまりテレビ映画については、放送権・有線放送権・公の伝達権・複製権・対放送局頒布権しか帰属を受けていません。これでなにが足りないかというと、放送事業者は、モダン・オーサーや実演家から送信可能化権の帰属を受けていないのです。日本の著作権法は、旧メディア全員に送信可能化権をばら撒いておきながら、それをかき集める装置を作らなかったのです。無責任というより、なにがなんでもネットを閉め出そうという旧メディアの執念が見えます。
映画をアップロードしようと思ったら、劇場用映画では、製作者から許諾を取ればいいので、劇場用映画のインターネット配信はいまのところうまくいっているようですが、テレビ映画では、いろいろなモダン・オーサーたちと実演家から、いちいち許諾を取り付けなければならないということです。これは事実上不可能です。
また、実演家は、91条1項で録音録画権、92条1項で放送権、92条の2で送信可能化権を専有していますが、実演家から放送権の許諾を受けた放送事業者は、93条1項で、放送のための録音録画についても許諾も受けており、94条で、その録音録画を用いてする本放送、再放送、提携地方局での放送の許諾も受けています(ただし後者の場合は94条2項で報酬の支払いが必要です)。
ところが、インターネット事業者(p2pユーザーも含む)は、インターネット配信のためにどうしても必要な録音録画の許諾を、送信可能化権の許諾とはべつに、実演家からあらためて取り付けなければなりません。
放送事業者とくらべて、インターネット事業者が抱えているハンディキャップは、まだまだあります。たとえば、インターネットには、44条の放送用一時的固定のような公正利用権がありません。
また、著作物を放送しようとする放送事業者は、著作権者と話がつかないときは、68条の裁定制度があって、これを後ろ盾に業界間交渉を進めるのですが、インターネットにはこれもありません。
また、39条「時事問題に関する論説の転載」や40条2項「公開演説の掲載」は、放送と有線放送には、憲法21条「表現の自由」をサポートする報道機関という大義名分から許されているのですが、これがインターネット配信には許されていません。インターネットは、サポートどころか、究極の「表現の自由」そのものなのですが、その可能性は封じられています。
インターネットでのコンテンツ配信は、放送とくらべて、著作権法上、これだけのハンディキャップを負わされています。ライブドアや楽天がテレビ局を買収しても、この著作権の壁は越えられません。放送事業者は、これらの「権利の制限」をひとつひとつ著作権者や実演家やレコード製作者からむしりとってきたのですが、インターネット事業者はどうしますか? さっき申し上げたように、はじめからオープン・ソースやクリエティブ・コモンズで行きましょうよ。
いま、地上波デジタル放送の開始にともなって、IPマルチキャスト放送を、著作権に関して有線放送と同じ扱いにしようというアイデアが出ていますが、これはもともとインターネットではなく、端末もPCではなく専用ハードだし、テレビ番組の同時再送信に限定されていて、アーカイブの利用や自主制作は無期延期だ――などなど、要するに、双方向のケーブルテレビにすぎません。双方向といっても、テレビ局の台本の中のお遊び双方向にすぎません。そういえば、最近のNHKの視聴者ネット参加番組のくだらないこと−−伝達される情報量がお遊びのおかげで激減−−これで放送と通信の融合などとは笑わせます。
番組制作権を掌握している放送事業者が、いまの寡占・規制体質のままでネットに降臨してこようという虫のいい話でした。この体制がまた何年も続くのでしょうから、インターネットにとってはむしろバッド・ニュースでした。
いまの日本の著作権法はアンチ・インターネットで凝り固まっています。もっとも、著作権法は、1条で、「・・著作者等の権利の保護を図り、もって文化の発展に寄与する」という使命を受けているので、あたらしい産業の育成など、法の目的にはありません[13]。ただ、なにも、技術の進歩をここまで必死になって邪魔をして、結果的に文化の発展を妨害しなくてもいいじゃありませんか。日本でコンテンツ・ルネッサンスを起こそうと思ったら、著作権法以外のところに、そのためのエンジンを見つけなければなりません。それが私は競争原理だと思うのです。
サーバーを使わないいわゆる第2世代のp2pファイルシェアリングでは、プロバイダーはユーザーの情報が通過するだけの導管(conduit)にすぎないのですが、このプロバイダーに対してユーザーの氏名住所を開示させる法制も、日米で差が出はじめています。
2003年12月、通信大手ベライゾンのネットで1日600曲の音楽をアップロードした人物の名前を開示するよう米国レコード産業協会(RIAA)が求めていた訴訟で、DC巡回裁は、デジタル・ミレニアム著作権法(DMCA)がp2pにおけるプロバイダー責任を想定していないとして、ベライゾンを勝訴させました[14]。
日本では、レコード産業協会が、プロバイダー3社に対して、WinMXでヒット曲を「送信可能化」したユーザー19人の住所氏名を開示するよう求めた訴訟で、東京地裁が、プロバイダー責任法にもとづき、その開示を命ずる判決を言い渡しました[15]。新聞によると、同様の判決が相次いでいるのですが、プロバイダー側が判決がないと開示しないという態度を貫いているのに対して、レコード協会や業界弁護士は、もっと簡易な手続で開示させるべきだと主張しているそうです。プライバシーの権利に関する日米の差が歴然としてきました。
Intelが自社の製造するマイクロプロセッサに総背番号をつけようとして、ユーザーの大反対を受け、断念したことがあります。
MicrosoftがWindows
XPでやっているproduct
activationというハード認証方式は、ユーザーのパソコンのコンフィグ状態をコード化した「ハードウエア・ハッシュ」という情報をメーカーに送信します。この情報はパソコンの指紋のようなものなので、ほかのサブスクリプション情報、たとえばPassportの情報とつきあわせることによって、末端のパソコンを同定できるといわれています。
AOLが、個人会員がAOLサーチで過去3か月間に使った多数のキーワードを総合して、6千万人の顧客の中からその個人AOL
Searcher No. 44177246を突き止めるという実験に成功したという情報がリークされました[16]。
これらは孤立した例ではありません。今年はじめ、司法省が、幼児性愛者を割り出すため、検索各社に召喚状を出しました。Googleは裁判所に申し立ててこれを却下させましたが、召喚状に従順に従った会社もあるそうです。
ネット広告では、以前から、アクセスのあったパソコンに特定のcookiesを送信しておいて、次のアクセスでそれを返信させる−−ターゲット広告−−というシステムを使っていましたが、現在ではこのシステムが非常に高度化し、かつ情報の集積が進んでいるのに、ネット広告会社は、ユーザーの反発を恐れて、これの活用を自制していると聞きました。
いま司法省の話が出ましたが、国家権力は、どこでも、日本のような一見benignな(おとなしい)国家権力でさえも、情報管制には乗り気で、国にまかせておいたのでは、この傾向はどんどん進むでしょう。著作権と情報管制が野合しているのです。現に、総務省の研究会が、インターネットの匿名性を問題視しています[17]。
パソコンもインターネットも、もともと自然発生的に成長してきた技術なので、その匿名性が生命線でした。「2ちゃんねる」もそうだし、KazaAに代表されるp2p音楽交換もそうです。このポピュリズム(人民主義)こそが、パソコンやインターネットの急成長の源泉だったのです。「だった」と過去形で言ったのは、このポピュリズムが著作権と情報管制の複合体によって窒息させられつつあるからです。
宇宙のビッグバンは真空のエネルギーによって起爆されたのですが、コンテンツ市場の爆発はポピュリズムの力で点火されている・・というのは歴史的な観察です。しかし、日本は、著作権と情報管制で、まるで逆の方向へ走っています。
いままで申し上げてきた政治目標は、達成まで長い年月がかかるでしょう。米国がすでに持っているものを、日本が持つまでに長い年月がかかると考えただけでも絶望的になりますが、せめてそれまでの間、現行法制の解釈論でなんとかできないか考えてみましょう。
著作権法1条は、「この法律は、・・(著作物等の)文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もって文化の発展に寄与することを目的とする」と定めています(かっこ追加)。ここで「等」というのは隣接権のことです。なんの法律でも1条の目的規定などを援用すると素人だと思われるので、かなりためらいますが、ただ、法律に欠けているところがある場合などは、仕方がありません。
たとえば日本MMOのファイルローグ判決[18]をみてみましょう。ユーザーの大部分がCD音楽の交換に使っているということですが、インデーズやクラブ専門の歌手でいいのがかなりありましたよ。けちな海賊が100人いても、本物のアーティストが1人いれば、差し引き、「文化の発展に寄与」 するのではないでしょうか。
2002年の「中古ゲーム」最判[19]は、映画の頒布権に消尽規定がないから消尽しないと思われていたゲーム・ソフトの著作権が、譲渡によって消尽するとした画期的な判決ですが、その理由として、ゲーム・ソフトの譲渡のたびに著作権者の承諾が必要だとすると、「市場における商品の自由な流通が阻害され、著作物又はその複製物の円滑な流通が妨げられて、かえって著作権者自身の利益を害する」という1条解釈で、中古ゲームの自由な流通を認めました。
民法1条3項は、「権利の濫用はこれを許さず」と規定します。これも1条なので気が引けますが、民法の特別法である著作権法に欠けているところがある場合などは、一般法の民法が助け船を出してくるのは仕方がありません。さっきのWIREdata判決を思い出してください。
つい先日、経済産業省があたらしい「ソフトウェアに係る知的財産権に関する準則」を発表しました[20]。準則というのは法律でも政令でもなく、経済産業省が設置法で与えられた権限にもとづいて、たとえば民法の解釈を示したもので、裁判所の判断を拘束するものではありませんが、経済産業省の法解釈を示すものとして一定の権威があります。準則そのものは簡単で、つぎのように言っています。読み上げます。
ソフトウェアに係る特許権の行使において、以下のような権利行使(@からBのいずれか若しくは複数に該当するもの)は、権利濫用と認められる可能性がある。権利濫用である旨の主張は、権利主張に対する抗弁として、又は差止請求権等の請求権について不存在確認訴訟の請求原因として行うことが可能である。
@権利行使者の主観において加害意思等の悪質性が認められる場合。
A権利行使の態様において権利行使の相手方に対して不当に不利益を被らせる等の悪質性が認められる場合。
B権利行使により権利行使者が得る利益と比較して著しく大きな不利益を権利行使の相手方及び社会に対して与える場合。
経済産業省の発表文には、このあと、準則の詳細な説明と想定事例が続いていますが、私がまとめて、簡潔にご説明いたします。私はこれを起草した経済産業省の研究会のメンバーだったのですが、私の説明は、なるべく当たりさわりのないように工夫している経済産業省の公式説明より突っ込んだ説明になっています。
まず、準則のタイトルは「ソフトウエア」となっているのに、準則の内容や説明はすべて「ソフトウエア特許」についてだということです。著作権はどうするのというご疑問がおありでしょう。この準則は一般法である民法1条3項の解釈なので、ソフトウエア特許だけに適用されるわけではありません。さしあたりソフトウエア特許について解釈したというだけで、とうぜん著作権にも類推解釈されます。
なぜソフトウエアかという点について、準則の脚注は、「ソフトウェアは多層レイヤー構造、コミュニケート構造を有し、そのユーザーのロックイン傾向が存在する」からと説明しています。これなら著作権にはもっとぴったり当てはまりますね。
つぎに@ABの要件ですが、@はいままでの権利濫用の判例をリステートしただけで、なにもあたらしい解釈ではありません。悪質な加害意思のことを「シカーネ」といいます。ABの順で次第にラディカルになっていきます。
Aは主観的なシカーネを超えて客観的な悪質性を問題にします。「不当に」というのは、脚注で、「正当な権利行使を逸脱すること」と説明されています。特許権は生産・譲渡・使用などの行為を、著作権は複製やその準備行為である送信可能化などの行為を、それぞれ権利者が独占することを許す権利なのですが、だからなにをやってもいいというわけではなく、たとえば、ライセンシーの販売価格や数量や客先を制限したり、抱き合わせをしたりすることなどは、正当な権利の行使ではないので、このAを満足します。この準則がとくに狙っていることは、接続拒否(interoperability妨害)です。さっきの多層レイヤー構造、コミュニケート構造というソフトウエアの本質的機能を妨害することは権利の濫用に当たります。
Bは利益考量です。ここには「不当に」という要件がありません。権利者の行為がべつに不当でなくても、その行為によって自分が得られる利益がたいしたことがないのに、それが相手方および社会に対して与える不利益が著しく大きい場合、これが権利の濫用に当たります。たとえば自分の権利を妨害目的で使う場合などがこれにあたります。つぎの例は、発表文に添付された想定事例3のケースです。
マイクロ社はサーバ用OS市場とクライアント用OS市場で非常に大きなシェア(前者において約7割、後者において約8割)を握っている会社です。マイクロ社は自社の提供するサーバ用OSと自ら提供しているクライアント用OSとの通信を行う上で必要となるプロトコルに関する情報を開示しないこととするとともに、プロトコルの一部に関連する技術について特許を取得しました。
インター社が作っているリナックス・ベースのサーバ用OSは、マイクロ社のクライアント用OSとの通信機能を実装しています。インター社は、自社のリナックス・サーバ用OSがマイクロ社の特許を侵害していることを知り、マイクロ社が望むライセンス料を支払う旨を伝えました。
これに対して、マイクロ社は、特許権侵害を理由として、リナックス・サーバ用OSの使用差止及び廃棄除却を求めてインター社を提訴しました。仮にこの請求が認められると、インター社では、リナックス・サーバ用OSの廃棄除却及びサーバ用OSの変更により必要となる大幅なシステム改修に伴う多大なる損害が生じるとともに、システム改修に伴い一部サービスが利用不可能となることから、ユーザーも当該サービスを利用できなくなることによる損害が生じます。
想定事例の解説は、上のケースが、@シカーネとB利益考量を総合的に考慮した場合、権利濫用の抗弁が成立する可能性があると判断しています。このケースを類推すれば、私たちが目撃し、またはこれからおおいに目撃するであろう知的財産権を利用したいろいろな接続拒否(interoperability妨害)事件に使えそうです。ちょっと考えただけでも、コンテンツ配信端末の互換拒否などがすぐ思い浮かびます。
デジタルコンテンツ市場へのインターネット事業者による参入を、著作権を利用して妨害しようとするいろいろの試みに対して、60年前に制定された独占禁止法が、いまでも役に立ちそうです。独占禁止法は、@独占行為とAカルテルとB不公正な取引方法を禁じています。
ここで重要なことは、テレビ放送事業者が、独占者(モノポリスト)だということです。電波周波数が希少資源であることから、放送免許によって、地域独占ないし寡占を与えられているのです[21]。もちろんこれは放送法によって限定的に与えられている合法独占なので、これでただちに独禁法違反というわけではありません。しかし、地域独占者だということから、放送法で与えられた限定を超える独占行為は、独禁法違反になります。
民放連の会長さんが、テレビ番組のネット配信は地域限定が条件だ−−つまりテレビと同じ地域限定でなら許してもいい−−と新聞で言っていました[22]が、ぜんぜんダメですね。周波数割り当てという正当化理由がないのに、インターネットの視聴可能地域を制限することは、これを単独でやったら「独占行為」、テレビ局間の話し合いでやったら「カルテル」です。どちらも刑事罰がありますよ。
ここで私が皆さんのご注意をうながしたい問題点は、最近のDRMが、コピー防止マシーンをはるかに超えて、流通支配マシーンの性格をあらわにし始めていることです。配信した音楽の保持時間、メールや外部媒体への転送の回数、MP3への変換の可否、視聴可能地域、年齢、性別、流通経路などなど、機械的にまたはサブスクリプション情報によって、こまかく分割できます。ロボットによる流通の分割支配が可能になっているのです。もちろん、中堅企業がDRMでこんなことをやったからといって、ただちに独禁法違反だというのではありません。しかし、テレビ放送事業者のようなモノポリストがやったら、独禁法違反に限りなく近づきます。
「不公正な取引方法」には、@取引拒絶、A差別、B抱き合わせ、C拘束条件付取引、D優越的地位の濫用、E競争者に対する取引妨害などをふくみます。デジタルコンテンツの著作権者が、インターネット配信を許諾する条件として、お金のほかにいろいろな制限条件をつけてきますが、上のどれかに該当しそうな場合が、いくらでも思い浮かびますね。とくに、不公正な取引方法に対しては、被害者から差止請求ができるので、もっと活用されてもいいと思います。
抱き合わせでは、音楽配信でのCodecとDRMのバンドルが、フランスで問題になりました。これについてはあとでご報告します。拘束条件付取引では、これはインターネットではなく、CD媒体でしたが、プレステの中古品取扱禁止などが有名ですね。優越的地位の濫用は、とくにモノポリストであるテレビ局と番組制作会社の間でよく見かけます。競争者に対する取引妨害は、やはりCDやDVDという有体媒体の並行輸入禁止がこれに当たります。
いま日本のインターネット事業者が直面しているいろいろな問題点の多くが、実は国際通商問題だということのお気づきだったでしょうか。いままで申し上げてきたことの背景情報として――ほんとうは背景情報は先にお話すべきだったのかもしれませんが、結論を先にという司法試験答案のこつにならって、最後にお話します。
さっきのランデス&ポズナーが、米国の著作権保護期間延長法(ソニー・ボノ法)を「重商主義的」だと批判していました[23]。それで思い出したのが、いまオーディオ再生機器についているSCMS(serial
copy managment system)です。これは米国では、1992年のAudio
Home Recording Act (AHRA)[24]24]24]24]で、オーディオ再生機器メーカーが装着を義務づけられているものなのですが、米国にはそのころすでにオーディオ再生機器のメーカーがなく、だれも反対しませんでした。AHRAが日本をターゲットとした「重商主義的立法」だったことはあきらかです。連邦通信委員会(FCC)のデジタル・テレビ放送フラグ規則なども同様の「重商主義的」発想ですが、2005年5月、連邦巡回控訴裁によって無効判決を受けました。時代は変わりつつありますね。
日本の著作権法113条5項で創設された海外生産CDの還流防止措置など、情報の自由な国際流通という圧倒的な潮流に反する自殺的な情報鎖国化だというほかはありません。バカらしい話なのでこのくらいにしておきます。
EUの1989年「国境なきテレビ放送」指令[25]というのがあります。これは、EU内のテレビ放送局が、放送時間の5割超を欧州製番組とすることを求めており、これに対して、ハリウッドを持つ米国がたいへん怒って、通商問題化していますが、EUはまったく譲ろうとはせず、1995年発効の世界貿易機関(WTO)サービス貿易に関する一般協定(GATS)でも、オーディオ・ビジュアル・サービスは自由化約束も内国民待遇約束もまったくしていません。さらに、米国では和解してしまった対マイクロソフト独禁法訴訟も、EUではまだまだ継続中で、そのメイン・イシューがWindows
XPにバンドルされたWindows
Media Playerです。つまり、メディアのプラットフォーム・ソフトウエアを通して、コンテンツを支配されることをおそれているのです。この問題は単なる通商問題ではなく、EUが、ギリシャからポルトガルに至る世界史に誇るヨーロッパ文明を、ハリウッドから守ろうとしている文化闘争Kulturkampfの一環なのだと思います。
私がなにを言いたいのかというと、これほどスケールの大きいグローバルな文化闘争の中で、日本がどういう立場を占めるのかという疑問です。アニメやゲームでいくらかお金をもうけたいからとか、せいぜいジョセフ・ナイのいう「ソフト・パワー」という程度の哲学で、海外生産CDの逆流防止権とかCCCDなどという矮小なことをやっている国は、米欧文化闘争の間に挟まって、また、韓国、中国、インドの追い上げにあって、結局埋没してしまうことになるのではないのでしょうか。
2006年6月30日、フランス議会は、WCT/WPPTをEU内で実施するためのEU指令[26]を受けて、著作権法改正案(DADSVI法)を可決、7月27日付憲法評議会決定[27]による修正を再可決、8月1日、大統領が署名して公布しました[28]。これは米国DMCAのフランス版なのですが、4月可決の下院法案の中に、DRMを迂回するための情報開示を義務づける条項があって、これではたとえばiTMSのDRMであるFairPlayのソースが公開されることになると大騒ぎになったものです。下院では、DRMが抱き合わせロボットだという主張がコンセンサスになったので、この問題もひろい意味で競争問題だということができます。
結局、下院法案からは大きく後退したもの、改正法13条は、「技術措置は、・・相互運用性(interoperability)の実質的活用を阻止するものであってはならない」という大原則を宣言し、14条は、このための手続きをつぎのように規定しています。
@ソフトウェア開発者/サービス提供者(「自動公衆送信事業者」)は、相互運用性確保に必須の情報に対するアクセスを拒否された場合には、技術措置規制機関(6年任期の6人の中立委員からなる独立行政法人)に当該相互運用性確保に必須の情報の入手を求めることができる。
A技術措置規制機関は2か月以内に開示の可否の決定を行う。
B相互運用性確保の必須の情報とは、DRMによって保護された対象へアクセスするためのデバイスに必要な、技術文献とプログラミングインターフェースを意味する。
C技術措置規制機関は、権利者から、当該情報の公開が技術的保護手段のセキュリティと有効性に大きく影響するであろう証拠が提示された場合を除き、開示を止めることができない。
D技術措置規制機関は、技術措置の分野で、支配的地位の濫用や自由な競争を阻害する慣行を、競争諮問委員会に付託する。
ついでにいうと、本法は、技術的保護手段の迂回を原則禁止していますが、DMCAや日本法よりはるかに広範な公正利用条項を持っています。
WCT/WPPTは条約で、すでに所定の批准数を経て発効していますが、条約の弱いところで、不履行国に対する強制力がありません。そのため、米国にならってとくに送信可能化権を無視している国が圧倒的で、これが大きな潮流になっています。そこで、両条約を「世界貿易機関」(WTO)の「知的所有権の貿易関連の側面に関する(TRIPS)協定」に併合しようという提案が、WTOのTRIPS委員会の中ででています。WTOなら、不履行国に対して通商報復をかけることができるので、強制力を持つことができるというわけです。ところが、いまWTOでやっているドーハ・ラウンドのなかで、エイズの特効薬が、特許保護のおかげで値段が高いため、エイズに苦しむ南アフリカ諸国民がアクセスできないという問題が浮上し、WTO史上初めて、実質的条約改正がおこなわれました。このようにドーハ・ラウンド全体がアンチ知的財産権ムードになってきたため、WCT/WPPT併合の提案は動きが取れなくなっています。
いま世界は大きく変わろうとしています。18世紀の産業革命をしのぐような変化――情報革命が始まろうとしています。そのなかで日本だけが取り残されていくような徴候がみられます。産業革命のときも、その潮流に果敢に乗っていった国と、古い利権にしがみついて、押し流されていった国がありました。
まだ間に合ううちに、私たちインターネット・ビジネス――いままでややパロディ的に「自動公衆送信事業者」と呼んできましたが――ではたらく人々が、自分が何であって、何を求めているのかという鋭いアイデンティティを確立しなければならないと、申し上げてきました。私の話がその一助になれれば幸いです。ご清聴ありがとうございました。
注:
[1] 図1のモノポリスト価格設定モデルにおいて、価格差別がない場合、競争によって形成される価格Pe/数量Qeの交点E(均衡点)で、消費者余剰と供給者余剰が最大になり、資源の最適配分と供給量の最大化が実現する。この価格では、これ以上の価格でも買える顧客は望外の得をしたことになる。これが消費者余剰である(PeE、D、p軸で囲まれた図形)。これ以下の限界費用で供給できる供給者も望外の得をしたことになる。これが供給者余剰である(PeE、MC、p軸で囲まれた図形)。余剰は投資され、経済を拡大する。余剰が生じるのは、差別がないという前提のため、商品価格が1市場のなかで一義的にきまるからである(1物1価)。モノポリストは、社会的な均衡点ではなく、限界費用曲線と限界収入曲線の交点N(利潤最大化点)に対応する価格Pm/数量Qmを選択する。その場合、社会は、図形MNEで表される死重損失(deadweight loss)を受ける。これが知的財産権制度の社会的コストである。
[2]
たとえば、保護期間を長くすると、その分だけパブリック・ドメイン作品が少なくなり、社会的損失が増える。
[3]
最適値は、両曲線の交点ではなく、各曲線の微分係数が等しくなる横軸の値である。
[4]
WILLIAM M. LANDES & RICHARD A. POSNER, THE ECONOMIC STRUCTURE OF
INTELLECTUAL PROPERTY LAW (The Belknap Press of Harvard University Press
2003) 214.
[5]
The Media Equation--Online Player in the Game of Politics, THE NEW YORK
TIMES, November 6, 2006.
[6]
MGM v. Grockster, 545 U.S. 913 (June 2005)/ MGM v. Grockster (StreamCast),
2006 U.S. Dist. LEXIS 73714 (D.C.Ca. 2006). KazaAは1億ドルで和解(2006年6月)。
[7i]
たとえば、文化庁著作権法令研究会『著作権法不正競争防止法改正解説』(有斐閣1999年)62頁。
[8]
日経2006年8月7日「動画投稿、撮ってみて」。YouTubeにまで、投稿の事前審査と投稿者の個人情報登録を要求するつもりらしい。日経2006年9月30日「テレビ局など19団体、投稿動画「掲載前に審査を」、ユーチューブに要請検討」。悪名高いデジタル・ミレニアム著作権法(DMCA)も、権利者からの具体的な要求で侵害情報を削除することまでで、事前スクリーニングまでは要求していない(17
USCS 512(c)(3))。日本のいわゆるプロバイダー責任法も同様である。
[9]
日経2006年6月23日「ゆれる著作権保護」。
[10]
送信可能化権は、1996年に条約ができる10年も前から日本がWIPOで提案していたものらしい(加戸守行『著作権法逐条講義四訂新版』187ページ)。WIPOではみんなほめてくれたらしい(Id)が、TRIPSとちがって通商報復がないものだから、米国はじめ誰も本気で実施しない。どうぞお先にというわけで、日本だけがいい子ちゃんぶって2階に上げられて梯子をはずされ、世界の情報革命から取り残されている。おっちょこちょいと叱られる機先を制するため、世界で最も進歩的な著作権法だなどと強弁している。
[11]
WCT8条/WPPT10条の義務(exclusive
right of -- making available to the public)にもかかわらず、米国は、独立の送信可能化権を創設していない。uploadについては、映像は「公の実演権(right of public performance)」(17
USCS 106 (4))でテレビ放送と同じ扱い、音声は「デジタル音声送信による公の実演権」の対象となる(17
USCS 106 (6))。要するに、日本でいえば、送信可能化権を含まない公衆送信権である。downloadについては、譲渡権(distribution
right)を適用しているが、譲渡権は法文上有体媒体(copies
or phonorecords)が前提である(17
USCS 106 (3))。「公の実演権」を送信可能化権まで拡張解釈した最判はない。A&M
Records v. Napster, 239 F.3d 1004 (9th Cir. 2001) as amended by 2001 U.S.
Dist. LEXIS 2186もMGM
v. Grokster, 545 U.S. 913 (2005)も、upload単独によるユーザーの直接侵害行為を認定してない。
[12]
日経2006年8月19日「テレビ・ラジオ放送番組海賊版ネット配信規制、WIPO新条約採択へ」。同2006年9月14日「放送番組の無断ネット配信、規制条約を來夏採択」。
[13]
著作者と実演家はともかく、レコード製作者と放送(有線放送)事業者には送信可能化権を与えるべきではなかった。事業者なら、公衆送信されてしまってからでも、十分損害賠償請求できる。しかしいまさら変えられないだろうから、せめてネット事業者に有線放送事業者レベルの権利制限(公正使用権)をあたえたらどうか。
[14]
Recording Industry of America, appellee v. Verizon Internet Services,
appellant, 351 F.3d 1229 (DC Cir. 2003).
[15]
日経2006年9月26日「発信者名開示を、東京地裁接続業者3社に命令」。
[16]
A Face Is Exposed for AOL Searcher No. 4417749. THE NEW YORK TIMES, August
9, 2006.
[17]
日経2006年9月6日「ネット技術−−匿名発信など問題視」。
[18]
東京地裁平成14年(ワ)第4237号。
[19]
平14.4.25第一小法廷判決平成13(受)952。
[20]
経済産業省商務情報政策局情報処理振興課「ソフトウェアに係る知的財産権に関する準則」担当。
[21]
都道府県単位で1-5周波数が割り当てられている。
[22]
日経2006年7月16日「そこが知りたい」。
[23]
LANDES & POSNER, op. cit. 410.
[24]
17 USCS 1002(a).
[25]
89/522/EEC as amended by 97/36/EC.
[16]
情報提供会社における著作権及び隣接権の幾つかの側面の統一化に関する2001年5月22日づけ欧州議会及び欧州理事会指令2001/29/CE。
[27]
2006年7月27日づけ憲法評議会決定第2006-540号。