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本間忠良 衝撃の新刊 知的財産権と独占禁止法−−反独占の思想と戦略

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経済法あてはめ演習60選(日本語)Antimonopoly Act  Exercise 60 Cases

情報革命についてのエッセイとゴシップ(日本語) Essays and News on Information Revolution

論文とエッセイ(日本語)Theses and Essays

 

決断の瞬間 

2009-2-21

本間忠良

以下は、私が年来書きためてきたケース・スタディだが、いつまでたっても完成の見込みが立たないので、以下に未定稿を発表することにする。  

構成(予定):

1部「孤独の決断――決断の原型」

2部「決断の鎖――経営型」

3部「インタラクティブな決断――交渉」  

1ケースは【状況】、【決断】、【対話】、【評価】の4部構成。【状況】と【決断】はすべてフィクションだが、実在の事件にヒントを得たものもある。【対話】はまったくのフィクションである。【評価】は私の評価だが、それが正解とは限らない。読者によって異なる可能性がある。大切なのは、評価に至る思考である。【状況】を読んだら、つぎの【決断】を読む前にちょっと考えてほしい。

decision」を「決定」と訳すことが一般的(たとえばグレアム・アリソン「決定の本質」)だが、哲学や物理学でいう「決定論」(「ある事象は先行する事象によって決定される」という仮説)との混同を避けるため、ここでは「decision」を「決断」と訳している。ここでは決断論の部分集合として戦略論を、さらにその部分集合として交渉論を位置づけている。インタラクティブな決断(相手の決断による自分の決断)が交渉である。

読者(決断者)が行き詰まったとき、なにかヒントになることを期待。

はじめランダムに書いて、あとで配列する(とくに第1部「孤独の決断」には奇怪な話があるので、美しく表現)。「人間の品格」論者からは、決断論が損得勘定で、戦略論が駆け引きだと思われているが、そうではない。「かけがえのない価値」を守る選択行動なのだ。

「ハーバード流交渉術」は、恋愛や家族関係まで「交渉」に含めているが、私はまったく扱っていない。愛情問題は誠意と自己犠牲でゆれ動き、決着などとは無縁の世界にある。

 

1.あけぼのポートワイン(孤独の決断):  

【状況】

「あけぼのポートワイン」は、1907年、曙酒造から発売された超ベストセラーのワインである。曙酒造のビジネスの原点と言っていい。以後、その独特の味と風味が広く好まれ、日本初めてのヌードポスターなど、斬新な宣伝や販売促進もあいまって、日本人の味覚の一角を形成してきた。「あけぼのポートワイン」というブランドは、1世紀近い商品力と宣伝の賜物であって、金額に換算すればおそらく何百億円もの価値があっただろう。

1973年、曙酒造は、突然、この「あけぼのポートワイン」を「あけぼのスイートワイン」と改名した。「あけぼのポートワイン」は、たしかに「ポートワイン」としては甘かったが、顧客にとってはそれなりの「甘え」があった。それをいきなり「スイートワイン」としたので、「愛」を「性交」と言いかえたような衝撃が走った。とくに「スイート」が肥満につながる否定的なイメージを帯びたことで、この改名の決断は謎であった。

じつは、これは歴史的な外圧による決断だった。19世紀末以来、欧州のワイン産地、とくにフランスやポルトガルなどは、外国のワインが欧州の地名、たとえば、「ポルト」、「ボルドー」、「シャンパーニュ」、「シャブリ」など(「地理的表示」)を使うことを禁止しようとして、外国メーカーに定期的に警告書を送りつけ、なんとか国際条約[1]も締結してきたが、いずれも強制力の裏づけがなく、実効はなかった。

この試みのクライマックスが、1987年から始まったGATTウルグアイ・ラウンド交渉の知的財産権交渉であった。そのなかでECがいちばん熱心だったのが、この「地理的表示」である。ECは、ウルグアイ・ラウンド交渉で、本来の土地の産品以外の「地理的表示」の使用を全面的に禁止することを強硬に主張した。これには、米国やカナダやオーストラリアなど、欧州からの植民で建国した国々が猛反対した。たとえば米国には「パリ」という地名が60以上もある。イリノイ州のシャンペイン郡は優れたワインを産出する。

1992年、行き詰まっていた米欧農業交渉がブレアハウス合意で急転直下決着したが、農業国フランスはこれに大反対で、ウルグアイ・ラウンド脱退――ということはEC脱退――まで真剣に考えた。この状況に対して米国がとった決断が、それまでの「地理的表示」反対を撤回して、賛成へと大転換したことである。

これで、ワインの「地理的表示」保護は、1994年調印の「世界貿易機関(WTO)協定」の知的財産権協定[2]のなかにはいった。WTO協定は、違反に対する報復が合法である点で、いままでの国際条約とはちがう「牙」を持つ条約である。これを受けて、日本も不正競争防止法を改正して、ワインの不真正「地理的表示」を禁止した。

「あけぼのポートワイン」は、ポルトガルの「ポルト(Porto)」という地名を使っている。曙酒造は、ウルグアイ・ラウンドの20年前、ポルトガルからの警告書の段階で、「ポートワイン」の使用をやめてしまっていたのである。いいことは早いほうがいい。あなたが当時の曙酒造の社長さんだったら、同じ決断をしただろうか。  

【決断】

じつは、ウルグアイ・ラウンドの地理的表示交渉では、土俵ぎわのどんでん返しがあった。米国は、賛成に転じる条件として、過去10年間以上継続して善意で使っていた「地理的表示」の免責を強硬に主張、これが通ったのである[3]。おかげで、カリフォルニアのポール・マッソン「Port」は生き残った。粘り勝ちである。「継続して」だから、いったんやめてしまった「あけぼのポートワイン」は復活できない。曙酒造の決断は、いい子ちゃんすぎて、早とちりだったのではないか。  

【対話】

記者会見での社長さん:「1世紀に近い歴史を持つわが社だからこそ、気をつけなければならないことがあります。時代が変わりつつあるのに、ひたすら伝統やノスタルジーにしがみついていては、歴史のなかに埋没します。今回「あけぼのポートワイン」を「あけぼのスイートワイン」と改名したのも、あたらしい時代に対応したわが社の総合的な変身の一環だとご理解いただきたい」。

非公式幹部会での法務部長さん:「WTOの地理的表示の問題だけでなく、一般的な製法表示の問題もある。むかしは、ポートワインの味がすればポートワインでよかったが、いまでは、ポートワインとは、ワインにブランデーを加えて発酵をとめたものだという定義になっている。発売当時ならともかく、「あけぼのポートワイン」は、からずしもこのあたらしい定義を満たしていないといわれるおそれがある」。  

【評価】

製法表示なら、なかみのほうをすこしづつ変えて、ブランドのほうを維持すればよかったのではないか。コカコーラも、この半世紀、味や成分をすこしづつ変えてきているが、ブランドは維持している(「Coca」というあぶなげなイメージにもかかわらず・・)。ビジネスマンのしぶとさがちがう。自分にとってかけがえのない価値を守るためには、最後の最後まであきらめてはいけない。どうせ殺されるなら、その前に、相手の喉首にしがみついて、すこしでも傷を負わせてやるものだ。

 

2.内交渉(孤独の決断):  

【状況】

近藤和夫(41歳)は都電機川崎工場の特許部員、主な仕事は、工場の主力製品である電力送配電機器について、特許庁から出ているオンラインの出願公開公報を毎日通読して、抵触のおそれのある出願を見つけたら、対策を上司に提案することである。

今日たまたま見つけた出願は、ライバル会社である大山電工のエンジニアの発明によるもので、このままでは都電機の主力である回路遮断器がもろに抵触する広いクレーム(特許権請求の範囲)を持っている。審査請求がされており、いつでも特許になる可能性がある。

なんとかしなければ・・。ただ、この発明は、近藤の長いキャリアの中で、どこかで見たことがある――デジャビュー(既視感)。近藤は、自分の膨大なノートを手掛かりに必死で考え、文献やデータベースをあさり、ついに、自分が若いときに集めていた20年前のチェコスロバキアの専門誌のなかに、問題の出願とそっくりのアイデアが出ているのを発見した。大山電工の出願はこれのデッドコピーといってもいい。

これがあれば、問題の出願が特許になっても、無効審判で完全につぶせる。だが、当時はチェコスロバキアがまだ共産圏だったこともあって、この記事を知っている者は、日本では、おそらくこの出願の発明者以外には、自分だけだという自信がある。あなたが近藤だったらどう決断するか。  

【決断】

近藤の世界観によって、二つの可能性がある。一つは、@この記事のコピーを大山電工の特許部に送って出願を取りさげさせるか、A特許庁に情報提供して拒絶査定させるか、B特許が成立してから無効審判をかけて特許をつぶすか・・という可能性である。いずれの場合も、本来無効なはずの特許が成立して市場を独占しないように、近藤が、いわば公益的な立場から、市民として行動するものである。しかし、この場合は、特許がつぶれてしまうので、大山電工はがっかりするだろうが、ほかのライバル会社はみんな喜ぶだろう。都電機にとってはこれは面白くないかもしれない。

だから、もう一つの可能性は、近藤が、大山電工にひそかに接触して、この記事を秘匿することを条件に、特許が成立したら、都電機にだけ無償のライセンスをよこすという約束を取り付けることである(内交渉)。これなら、この回路遮断機の市場を、大山電工と都電機で独占(複占)できる。この場合、近藤は脅迫者として行動することになり、できあがった約束は談合である。

 【対話】

近藤の相談を受けた上司:「それはぜったい内交渉でやるべきだ。あんたの努力でほかのメーカーを喜ばせてやることはない。資本主義はきれいごとじゃないよ。社会公共なんてあんた個人と関係ないだろう」。

 【評価】

上司の、犯罪を目撃しても、自分に関係がなければ黙っているという神経、それとも、公知なのを知っていて特許出願するのが犯罪ではないという神経。

 

3.カルテル(孤独の決断):  

【状況】

電力送配電機器の日本における市場占有率(シェア)は、都電機30%、大山電工30%、日本工業20%、西田製作所10%、南ブレーカー10%で、ほかにメーカーはない。電力会社の規格が特殊なためもあって、輸入もない。

じつは、この5社は、30年前からシェア・カルテルをやっていて、上のシェアも毎年ほとんど変動していない。客先はほとんど電力会社である。電力需要は安定していて、毎年の発注量は予測可能である。年度はじめの発注では、各社がほぼ自由に応札しておいて、年度中の発注で調整し、年末には所定のシェアどおりに最終調整するというスキームである。このため、毎月10日、各社の業務部長が、東京の新橋ホテルの会議室に集まって(「十日会」と称している)、客先の発注予想や、受注計画を話し合い、今後の受注者を決める。長年やっていると、メンバーのあいだに友情めいたものが生まれてきていることは否定できない。

これはもちろん独占禁止法違反で、公正取引委員会にみつかると巨額の課徴金をとられるばかりでなく、場合によっては、会社や個人が刑事罰を受ける。電力会社からも、取引停止や損害賠償請求を受けるかもしれない。

今年、独占禁止法が改正になって(来年11日施行)、カルテルのメンバーが、自発的にカルテルの内容を公正取引委員会に通報(申請)すれば、課徴金が、最初の通報者は100%2番目が50%3番目が30%免除になるという制度になった[4]。最初の通報者は刑事責任も免除される[5]。この法改正はすでに十日会では再三話題になっていて、だれもぜったい通報しないという固い約束ができており、念書まで取り交わしている。

小林道夫(59歳)は、南ブレーカーの業務部長で、十日会のメンバーである。南ブレーカーは中堅企業で、電力送配電機器が主力製品である。損益はいつもトントンぐらい。(上位3社はみな総合電機メーカーで、社内における電力送配電機器の地位は比較的マイナーだが、高利益を上げている)。小林は来年3月定年で、退職金と年金でなんとか妻との老後をやっていけそうなのに、ここで刑事罰など受けて、退職金がもらえなくなったり、かわいい孫から軽蔑されるようなことにはなりたくない。改正法施行まであと1か月という時、このままでいいのか悩んでいる。あなたが小林だったらどう決断するか。  

【決断】

小林は、来年11日零時1分の日付け時間入りファクスで通報することに決断した。守るべき価値がかけがえのないものである場合、それを失う確率がいかに小さかろうと、それにすべてをゆだねることはできない。これが決断の根底にある数学である。  

【対話】

今年の忘年会、会場外のソファで、都築五郎(65歳)都電機顧問(カルテルの仕切り役)が小林の目をのぞきこみながら、「違法と知りながらこんなことをやっているのは、ひとえに南さんや西田さんのことを思うからなんですよ。これがないと、みんなで価格競争に走って、結局生き残るのは都と大山ぐらいになってしまうんですからね」。

小林「・・・(心の中で、シェア10%の「限界生産者」を生かさぬよう殺さぬよう置いておくのは、なにも愛他心からではなくて、それによって都や大山がどんどん利益をあげていくという体制を保存しようというエゴにすぎない。こんな状態が、わが社にとって――そこで働くものにとっても――いいことなんだろうか)」。  

【評価】

実際にはいくつかマイナーな不確定性があろう。たとえば、シェア・カルテルが刑事免除の対象になるかとか、通報の会社代表者印を代印でやっておいてそれを追認する(社長が断わるはずはない。もうばれているのだから・・)のが認められるか――公正取引委員会の「刑事告発方針」は限定的ではない−−とか。カルテル仲間に通知するのは不可(「方針」違反)。それより、南ブレーカーがやらなければ、きっと都電機が通報していただろう。犯罪者同志には仁義なんてないのだ。

 

4.北朝鮮危機(孤独の決断):  

【状況】

北朝鮮情勢が緊迫化しつつある。日本全土を射程に収めた「テポドン」型中距離ミサイルの配備が進み、一部は核弾頭を搭載。国内政治・経済悪化の責任を日本に転嫁する議論が政治中枢内で有力になって、いわゆる「限定核戦争」論が軍部の中で支配的になりつつあるという信頼すべき情報がはいっている。米国は中近東で手一杯、韓国はひたすら低姿勢、中国は日和見という、力の真空地帯の中で、核ミサイルによる恐喝外交が現実化してきた。このままでは、3年後には日本のどこかの都市に対する核攻撃がありうる。

この状況に対して、あなたが内閣総理大臣だとしたらどう決断するか。  

【決断】

あなたは首相(自衛隊の総司令官でもある)だが、なにか決行時はもちろん、準備段階から、安全保障会議と閣議(いずれも自分が議長)に諮らなければならない。いきなり先制攻撃という発想ではなくて、幅の広いエスカレーション対応(最終的段階では精密兵器による先制攻撃もためらわない現実主義)が正解。

「エスカレーション」とは、相手の出方に応じて、当方の戦争準備をレベルアップしていき、最終段階で相手が攻撃をかけてきたとき、同時に反撃または直前に先制攻撃できるようタイミングを合わせていく戦略である。対応がオーバーだと、相手もそれを上回る対応をするから、いわゆる螺旋状の軍拡競争が起こって、どちらも望まない戦争に突入する。だから、エスカレーションは、注意深く、相手よりわずかに低い対応をする。ただこの差を次第に詰めていって、最終段階では相手と同じレベルに到達していなければならない。

最終段階では、北朝鮮が対日核攻撃を決断してボタンを押す15分前、当方から精密非核兵器(戦闘爆撃機か巡航ミサイル)を発進して、敵ミサイル基地を破壊する(マイナス15分作戦)。ここまでの、精密なタイム・スケジュールにもとづく戦略を策定し、これを不断に更新していくが、最後の瞬間には、ためらわず攻撃命令を出せるタフな神経が要求される。これが、自分にとってかけがえのない価値を守るための決断である。  

【対話】

補佐官:「首相、もし情報がまちがっていたら、精密兵器といっても、何百人かの命と、その後1世紀の日本の評判にかかわるのですよ」。

首相:「もし情報が正しかったら、何百万人の日本人の命にかかわるのだよ。評判はそのときに考えようじゃないか」。  

【評価】

米国は40年続いた対ソ連冷戦でこの戦略をとってきた。いまでも大統領選では、危機対処能力が当落の鍵を握る。エスカレーションは緊張緩和のためにも使える(この場合は、正確には「デスカレーション」だが・・)。1962年のキューバ危機では、ミサイル基地建設資材を積んだソ連船団のキューバ接近というソ連からのエスカレーションに対して、米国が周到な対抗エスカレーション(港湾封鎖)をとり、ソ連が船団の進路を反転させると、ただちに封鎖を解いた[6]。6か国協議におけるヒル国務次官補の交渉がハーバード流の典型。

 

5.強盗(孤独の決断):  

【状況】

マネーカードを奪われ、暗証番号を言わされようとしている。  

【決断】

言わない。言ったら確実に殺される。マネーの問題ではない。拷問は耐えられる。  

【対話】  

【評価】

 

6Holywood (sic)(交渉):  

【状況】

映画の都はカリフォルニア州のHollywoodで、原義は「ひいらぎの林」である。明治の日本人がこれをHolywoodと誤読して「聖林」と訳した。ところが、じつは北アイルランドにHolywoodという人口1万そこそこの村がある。村役場がウエブサイトを持っていて、URLholywoodである。日本で「聖林映画」という会社を作ったので、このドメインを買いにいった。  

【決断】  

【対話】  

【評価】

 

7.カルネアデスの板(孤独の決断):  

【状況】

古代ギリシャのカルネアデスが出したといわれる問題。船が難破し、乗組員は全員海に投げ出された。ある男が一片の板切れにつかまっていたが、そこへもう一人、同じ板につかまろうとする者が現れた。しかし、ふたりもつかまれば板が沈んでしまう。おぞましい話だが、あなただったらどう決断するか。  

【決断】

その男は、後から来た者を突き飛ばして、おぼれさせてしまった。男は助かり、殺人容疑で裁判にかけられたが、無罪になった・・というのがカルネアデスの答え。日本でいえば「緊急避難」[7]  

【対話】  

【評価】

しかしほんとうにそうか。問題は単純化しすぎ。二者択一とは限らない。自分が老い先短い老人で――いやいや若者でも――、つかまってきたのが若い女の子や子供だったらどうする。答えにはいろいろなバライエティがある。板を譲ってもほかにチャンスがあるかもしれないのが現実の世界。どうせいずれは死ななければならない身だ。醜く長く生きるより、美しく闘って死にたい。そんなこといっても、いざとなったら板をとりあうって? いや、絶対そんなことはしない。

 

8.プレス機械(交渉):  

【状況1

山田行夫(60歳)は、機械技師として長年勤めた都電機を定年退職したので、退職金と貯金でプレス機械を買い、都電機川崎工場の下請けとして、自宅で、特殊仕様の変圧器鉄心用板金の打ち抜き賃加工を始めるつもりである。

在職中の人脈があるので、5年間は、なんとか、年1,700万円程度の加工賃収入は確保できる見込み。コストとしては、自宅の改装費・プレス機械・付帯設備・車両などの償却費、人件費(自分と奥さんの給料)、電気代、その他諸経費で年1,700万円以下に抑えたい(賃加工だから材料費や金型代はかからない)。

償却費の大半を占めるプレス機械(すべて手送り式)としては、現在つぎの4機種を候補として見積もりをとった。ランキングを好ましい順からABCで示す。

メーカー

見積もり価格

速度

アフターサービス

騒音・振動

こだま産機NG-210

4,450万円

A

A

C

新星メカトロJK-40M

5,000万円

A

A

B

東西重工HH-12X

4,000万円

A

A

B

長野工業KLH-3

4,500万円

B

C

A

自宅は野中の一軒家なので、安全・騒音・振動等の関連法令は、いまのところクリヤーできるが、今後、近所に住宅ができると問題がでてくる可能性がある。

これから各社と値引き交渉をするのだが、目的に合った機械を、できるだけ安く買いたい。あなたが山田だったら、どのような戦略で交渉するか。  

【状況2

三島 明(35歳)は、長野工業の営業部員。KLH-3は、発売8年目で、今様のフル・マイコン制御ではなく、ハードワイヤード(半田付け結線が主)で、材料の自動送りインターフェイスがないため、量産向きではない。それだけに、騒音・振動は制御可能で、特許出願中である。保守には手がかかるが、会社が長野なので、急なサービスに間が合わず、評判を落としたことがある。以後、お客には定期保守契約を勧めている。営業部員は保守契約も実績になるので、値引きと保守契約のトレード・オフで、利益を確保したい。

会社としては、近々新製品投入の予定なので、旧型の在庫をなるべく減らす方針である。上司から3,800万まで値引きの権限を与えられている。あなたが三島だったら、どのような戦略で交渉するか。  

【決断1

山田:@自分はベテラン技師だから機械のサービスは自分でできる。A人手は自分ひとりで、手送り作業だから、速度はあまり重視しない。B一番心配なのは、将来の騒音問題である。この三点をメーカーに見抜かれないようにしなければならない。とくに自分の技術知識をひけらかさない自制が必要である。一番ほしいのは長野工業の機械だが、こちらの強みと弱みを見せてはいけない。能力とサービスの悪さをやんわり攻めて、すくなくとも500万の値引きを取り付けたい。上の表の着色部分だけを長野工業の営業部員に示して交渉する。  

【決断2

三島:引き合いしてきた山田氏は、素人のにわか商売らしく、商品知識が乏しい。プレス加工を甘く見ている。あとになって、速度が遅いとか、故障だとか、クレームで手がかかりそうだ。まず、どんな事業計画を持っているか聞き出す(コンサルティング・セールスという手もある)。機械は値引きしても、あとの保守契約で回収できればいい。  

【対話】  

【評価】

「情報の非対称」交渉の典型。おたがい相手の情報がわからない「情報の非対称」は、交渉妥結の原因にもなるし、決裂の原因にもなる。両方の状況を知っている私たち(または仲裁人)は、この商談が妥結するはずだとわかっている(価格も両者の真ん中を取れば4,150万ということ)。だから、両者がフランクにカードを見せ合えば、いわゆる双方勝ち(win-win)ゲームになる――というのが、アイビーリーグの明るく理性的な環境のなかから生まれたハーバード流交渉術[8]だが、実際はどうか。

長い老後を妻と一緒に生き延びるため必死のベンチャーを試みる山田と、機械とサービスの抱き合わせという姑息な商法で甘やかされてきたサラリーマンの三島では、交渉力で完全に差がついている。結果は3,800万で、三島が裸にされた。win-winゲームなどではない。

 

9.東京湾(孤独の決断):  

【状況】

桂 次郎(34歳)は、東京湾を航行する大型遊漁船「富士丸」の船長である。19887月、富士丸が東京湾の難所といわれる浦賀水道を湾口(南)方向へ航行中、舵綸を握っている桂は、左前方に、浮上して航行中の潜水艦を発見した。潜水艦は、右(西)方に向けて、富士丸の航路と直交する方向に航行してくる。このままでは衝突する(「見合い関係」)。海上衝突予防法によれば、このような場合、富士丸のほうに優先権があり(「保持船」)、避航義務は左船である潜水艦のほうにあって、潜水艦は、停止するか、右に舵を切って(汽笛は短一声)避航する義務がある。

だが、潜水艦は富士丸に気づいていないかもしれない。その場合は、富士丸が右に舵を切って避航してもいいことになっている。いずれにしても、右に舵を切るのが衝突回避の基本で、左転は原則禁止である。しかし、やむをえない緊急の場合は、左に避航してもいいことになっている。潜水艦が航路を変える様子はない。ゼロ時間は迫ってくる。あなたが桂だったらどう決断するか。  

【決断】

桂は、ぎりぎりまで直進して、それでも潜水艦が航路を変えないと思い込んで(潜水艦の短一声汽笛の意味を理解せずに)、緊急に取舵一杯で左転した。ところが、潜水艦は、基本どおり、短一声の汽笛とともに面舵一杯で右転してきていたため、両船は衝突、富士丸は沈没して、数十人の水死者を出した。

右転すれば、直進する潜水艦との衝突は回避できるが、潜水艦の横波で金谷丸が転覆するかもしれない。だが、左転すれば、もし、潜水艦が直進してきたら衝突は回避できるが、もし、潜水艦が右転してきたら、もろに衝突する。横波をかぶるのと衝突するのと、どちらを選ぶか。桂の左転の決断は誤りだった。  

【対話】  

【評価】

このケースは、実際の海難事故[9]からヒントを得たものだが、内容はまったくのフィクションである。実際は、高等海難審判庁が、潜水艦の回避の遅れと、遊漁船の左転の両方に問題があったことを指摘し、横浜地裁が、双方の船(艦)長に禁錮刑(執行猶予つき)を言い渡したものである。横波うんぬんはまったくのフィクションである。

このケース・スタディの目的は、ひとえに、相手の行動によって自分の行動を決める戦略的決断において、自分の行動を相手に明瞭に伝えるコミュニケーション(この場合は、潜水艦側からいえば、もっと早く短一声と右転行動を示すことであり、富士丸側からいえば、直進するか右転することによって、自分の意図を相手に行動で示し、さらに、潜水艦の短一声を理解すること)の重要性を強調することにある。

必要な情報が不十分で、自分の決断に自信が持てないときは、現状(status quo)を維持するという決断も有力である。

 

10.高天原山(孤独の決断):  

【状況】

蓮見達夫(49歳)は、国内航空の機長である。19858月夕刻、蓮見は、ほぼ満席のボーイング747を操縦して、羽田から伊丹へ向かった。航路は、伊豆大島から西に、串本から北西にという、ほぼ本州の太平洋岸沿い海上である。最初の事故が起こったのは相模湾上空であった。とつぜん機内後部に破裂音、機は墜落はしないが操縦不能に陥った。尾翼のコントロールがぜんぜん利かず、油圧系も動作しない。主翼フラップ操作だけはできる。あなたが蓮見だったらどう決断するか。  

【決断】

蓮見は、管制官からの質問に対して、羽田空港へ引返すため右旋回を希望したが、結果的には、機は本州内陸部へ向かって迷走、関東北部の高天原山の尾根にハードランディングし、蓮見自身を含む多数の死者を出した。運輸省の事故調査報告書によれば、機体最後部の圧力隔壁が割れて、噴出する空気で垂直尾翼が吹っ飛び、油圧操縦システムが破壊され、昇降舵や補助翼の操作が不可能になったのである。

蓮見も亡くなっているので、真相は不明だが、操縦不能だと気づいたのに、なぜ羽田空港へ引返えそうとしたのか。引返せても安全に着陸はできなかったのではないか。そのまま直進はできたのではないのか。右旋回して陸上を迷走しなくてもよかったのではないか。不時着するなら海上のほうがよかったのではないか。それでも危険は危険だが、死者の数はもっと減らせたかもしれないのではないか。  

【対話】  

【評価】 

このケース・スタディは、実際の事故[10]からヒントを得たものだが、内容はまったくのフィクションである。実際は、機長はじめクルーの必死の行動と、乗客の落ち着いた態度が、交信記録やボイス・レコーダーから明らかにされており、批判の余地はまったくないばかりか、死と戦う人間の崇高なまでの美しさの記録ですらある。このケース・スタディの目的は、ひとえに、危機の一瞬に正しい行動をとるために、ふだんからのシミュレーションによる訓練と覚悟(preparedness)が重要であることを示すことにある。

直進して海上不時着を狙うという戦略は、この目的のためのひとつの仮説であるが、事故後のいわゆる「海山論争」の中で、航空技術を知らない素人の妄想だと批判されている(もっとも、批判者も素人だが・・)。しかし、これは不毛な論争ではなく、日本のような海上飛行が多い国では、海上不時着のシミュレーション研究や、場合によっては実機テストが必要で、もしそれがfeasibleだとしたら、いざという場合、誤った決断をしないような訓練も必要だ・・という建設的な提案につながる議論なのではないか。私は戦時太平洋に面した広い砂浜の近くに住んでいたので、砂浜やなぎさに戦闘機が不時着するのを何回も見た。空軍ではこの訓練をやっていたにちがいない。

必要な情報が不十分で、自分の決断に自信が持てないときは、現状(status quo)を維持するという決断も有力である。

 

11.就職面接(交渉):  

【状況】

前田光雄(59歳)は、大手電子メーカーの法務部長を長年つとめ、その間、訴訟やM&Aなど大型法律案件の責任者として、数々の成功をおさめてきた輝かしい経歴の持ち主である。定年を1年後に控え、役員になれるかもしれないし、子会社の社長くらいは固いという状況だが、昇進するにつれて濃密化してきた社内政治学が疎ましくなってきて、転職を考えている。その候補として、法科大学院での教職を考えている(給料は半減するが・・)。

前田は、自分の経歴書や業績書を付した自薦書をいくつかの法科大学院準備室に送ったところ、私立大手の海陽大学がいちばん早く反応して来た。総長の秘書から電話があり、総長が会いたいという。海陽大学なら通勤が便利なので、面会を承諾し、時間を決めた。

当日、時間通りに大学へ行くと、応接室に通され、秘書がコーヒーを持ってきて、総長はいま電話中だから少々お待ちくださいと言う。待っていたが、45分たっても音沙汰がない。あなたが前田だったらどう決断するか。  

【決断】

前田は帰ることに決めた。  

【対話】

前田から秘書に「約束があるから帰ります」と言うと、秘書は「すぐ総長に伺ってきます」と言って総長室にはいる。ほどなく総長があたふたとでてきて、「秘書の連絡が前後して申し訳ない」と、総長室に招じ入れようとする。前田は、立ったまま、丁重に「どうしても避けられない先約があるので失礼します」と言って帰る。  

【評価】

求職者に対する総長の恫喝(ブラフ)戦術が、年季のはいったビジネスマンである前田には見え見えである。帰ったのは、前田のブラフではない。本音である。どんなときでも人間のプライドは失うな。ここも幼稚な政治ごっこだったのである。こんな大学にはあまり魅力はない。帰宅後、これもまたまた予想通り、今度は総長じきじきに電話をよこして、失礼を謝罪し、あらためて面会したいと言う。前田は、鷹揚に承諾して、時間を約した。話だけでも聞いてやろう。

 

12.囚人のジレンマ1(交渉):  

【状況】

ベン(61歳)とアル(31歳)は、最近酒場で知り合ったばかりだが、一緒に強盗をすることになった。強盗は大成功で、目出し帽をかぶっていたので顔も見られなかったし、手袋のおかげで指紋も残さなかったが、後日ふたりは逮捕され、別々に収監された。

担当検事は、強盗がふたりの仕業だとにらんでおり、なんとかして自白を取りたい。そこで、ひとりひとりにつぎのような司法取引を提案した。ふたりとも、おたがい相手に同じ提案が出されていることは知ってるが、諾否について連絡することは許されない。

@もしふたりとも自白したら各6年、

Aもしふたりとも否認したら各4年、

Bもしひとりが自白し、他のひとりが否認したら、自白したほうに2年、否認したほうに8年。

ベン

アル

否認

自白

否認

-4 

-4

-2

-8

自白

-8

-2

-6

-6

それぞれの箱の中で、左下はアル、右上はベンの量刑(だからマイナス表示)である。あなたがアルだったらどう決断するか。

 【決断】

アルはこう考える。自分の決断はベンの決断によってきまる。まず、ベンが自白すると仮定する。この場合、自分も自白すれば6年だが、自分が否認すれば8年になる。だから自分は自白するほうが得だ。次に、ベンが否認すると仮定する。この場合、自分が自白すれば2年だが、自分も否認すれば4年になる。だから自分は自白するほうが得だ。以上、ベンの決断にかかわらず、自分は自白するのが最適な決断(支配戦略)だ。よし、自白しよう。  

【対話】  

【評価】

司法取引のある米国での話である。ベンも同じことを考えて自白したので、右下の箱になって、ふたりとも各6年の刑になった。ふたりとも、それぞれにとって最善の選択をしたのに、結果は、ふたりの刑を合計すれば12年で、個々の利己的な選択が、総合的には最悪の選択になった。

ふたりが気心の知れない飲み仲間ではなくて、仲のいい親子だったらどうだろうか。息子のアルは、自分が犠牲になっても、老い先短い親父にすこしでも長く娑婆の空気を吸わせてやろうとして否認する。親父のベンは、自分はもう十分に生きたから、若いアルに早く社会に復帰させてやろうとして否認する。これで右下の箱になって、ふたりとも各4年、合計8年で、個々の愛他的な選択が、総合的には最善の選択になる。

経済学で、市場参加者の一人ひとりが自分の利益を最大化しようとして行動すれば、社会全体としての均衡がとれて、資源の最適利用と生産の最大化がはかれるという楽観的なモデルがあるが、利得の組み合わせによっては必ずしもそうではないというのが、この「囚人のジレンマ」モデル[11]である。ここに経済法の出番がある。

 

13.チキン・ゲーム(孤独の決断):  

【状況】

トロイド社は、インスタント・カメラ専門の中堅メーカーで、創業者が社長で、自分の発明にもとづく基本特許群(トロイド特許)を持ち、これを誰にもライセンスせず自社だけで実施し、インスタント・カメラ市場ではシェア100%を占めていた。

オメガ・フィルム社は光学機材の巨大総合メーカーで、トロイド・カメラのフィルムの開発や製造にも長年協力してきたが、このほどトロイドに25年遅れてインスタント・カメラの製造に参入、量産と積極的なマーケティングで、トロイド社の独占を急速に侵食しつつある。

トロイド社は、オメガ・フィルム社に対して、オメガ・フィルムのインスタント・カメラがトロイド特許を侵害するから、同製品の製造販売を直ちにやめるよう警告書を発信した。これに対して、オメガ・フィルム社は、トロイド特許は無効であり、かりに有効だとしても同社の製品はトロイド特許のクレームに抵触しないというおきまりの回答を返して、製造を続けた。

トロイド社は同社特許権12件の故意侵害でオメガ・フィルム社を提訴、ここに歴史に残る巨大特許訴訟が始まった。両社とも優秀な特許弁護士団を編成、おたがい膨大なディスカバリー要求を出して、一歩も引かない構えである。オメガ・フィルム社の主張も有力で、第三者の目から客観的に見て、両社の勝率はフィフティ・フィフティである。

あなたがトロイド社の社長だったらどういう戦略でこの訴訟を進めるか。  

【決断】

チキン・ゲームを挑む。具体的には、和解の話には一切乗らないし、そのことをあらゆる機会を捉えて宣言する。巨大メーカー相手の訴訟なので莫大な費用がかかり、万一負けたら、営業力や応用開発力ではオメガ・フィルムに到底かなわないので、いずれは撤退に追い込まれるだろう。インスタント・カメラ専業の当社にとって、この訴訟は生きるか死ぬかの勝負だ。社運を賭けて戦い抜く。

【対話】

オメガ・フィルム社長が側近に:「インスタント・カメラの開発に長年協力してきたのだから、トロイドも、本心では、それほど頑なではないだろう。訴訟は消耗戦だ。お金が湯水のごとく出てゆく。トロイドが疲れてきたところで、和解話に引き込もう。これだけ大きい訴訟だと、例によって、いずれ裁判官が和解を勧告してくるに違いない」。  

【評価】

ポラロイド対コダックをアレンジ。単なる特許事件ではなく、モノカルチャーで後がないポラロイド対雑貨屋で逃げ場があるコダックの市場独占をめぐる戦いという想定。ポラロイドがチキン・ゲームを挑んでいる(マッド・ドッグ)のに、コダックが合理的ビジネスマンで対処しようとした。

チキン・ゲームとは、1車線の道路上で車を対向運転し、ハンドルを切ったりブレーキを踏んだりしたほうが負けで、一生「チキン(臆病者)」と呼ばれるというゲーム。「囚人のジレンマ」ゲームとちがって、単一の均衡解はない[12]

訴訟は地裁で10年以上にわたったが、オメガ・フィルム社によるトロイド特許数件の侵害が認められ、差止めと当時としては史上最高額9億ドル弱の損害賠償で、トロイド社の完勝となった。命懸けになった中堅企業がしかけたゼロサム・ゲームと、大企業のハーバード流交渉術(マネー・ゲーム)のちがいがみえた。

 

14.メタゲーム(交渉):  

【状況】

明治以来の日本の産業構造の特徴は、一握りの財閥系大企業を頂点とするピラミッド構造で、業界の中では、規模が大きく、「格」の高い会社ほど強い発言力をもち、それによって静的な秩序が保たれてきた。この構造は、第2次大戦中の戦時経済によって強化され、戦後も官との癒着を通して、1980年代末まで維持されてきた。特許ビジネスにおいてもそうであった。

日本最大手の総合電機メーカー東重工は、いわば旧型特許部体制の頂点にたつ会社といえる。特許部の人数も多く、社内での地位も高い。特許庁や特許関連団体にも顔が広く、早くから特許全面(有償)開放政策を公表しており、技術収支も毎年黒字と称している。一方、渉外事件については事なかれ/横並び意識が強く、11のケンカは弱い。

1987年、東重工は、業界4位の都電子特許部と交渉して、半導体に関する包括クロス・ライセンス契約(5年)を締結、バランシング・ペイメントとして計数十億円払わせた。特許数が東重工のほうが2倍もあるという「規模の違い」による睨み倒しである。契約期間の5年間、両社特許部は異様なほど友好的な関係にあった。

この平和は、1980年代後半、米欧からの訴訟攻勢の圧力下で大きく揺らぎ、都電子でも1989年クーデタによって、特許ライセンス交渉が新設の渉外部に移管された。

両社間の半導体包括クロス・ライセンス契約が満了する1992年、こんどは東重工特許部と都電子渉外部との間で更改交渉がはじまったが、すでに米欧相手に多数の困難な交渉/訴訟を経験している都電子渉外部は、今までの特許部とは打って変わった強硬姿勢で、ゼロ回答どころか、東重工の方が売上げが多い(2倍近い)ことを根拠に、逆に支払いを要求するにいたった。おどろいた東重工は、事業部/官庁/特許関連団体などのルートを通じて「政治的妥協」への圧力をかけてきたが、都電子渉外部は頑としてきかず、交渉は暗礁に乗りあげた。都電子渉外部は、古い体質の日本企業間にみられた談合的/なれあい的交渉を意識的に拒否したのである。  

【決断】

この段階で、都電子は、金銭の話しよりさきに、まず交渉のルールを決めることを東重工に提案、東重工もやむなくこれに同意、交渉ルールのための交渉(メタゲーム)がはじまった。

この交渉に約1年かかったが、結局、両社の特許15件(保有特許件数も東重工のほうが2倍近くあるので、この段階ですでに都有利)を代表選手として出場させ、それぞれについて有効および抵触の確率を合意し、それに相手方の抵触製品の売上げを掛け(同一製品に複数特許が抵触してもそのうち最大確率のもの1件にとどめる)、さらに両社の特許公開ロイヤルテイ3%を掛けて、その差額をバランシング・ペイメントとすることで合意。もちろん、この段階で、両社とも、その時々に提案されているルールにしたがって金銭的な試算はしていたが、その過程で、とくに東重工の内部で、旧来の掴み金的妥協がもはや不可能なことがしだいに納得されてきたのである。

結局、両社間に、双方とも金銭的支払なく将来10年にわたる半導体包括クロス・ライセンス契約が実現した。  

【対話】

西村啓二(51歳)東重工特許部長:「大企業同士が特許1件ごとに訴訟で争っていては、共倒れになる。日本のためにもよくない。都さんももっと大人になってほしい」。

南 敏明(50歳)都電子渉外部長:「いままでの大企業間の無償クロス契約網は、いわば技術カルテルで、アウトサイダーの参入を阻止するとともに、インサイダー間でのボス支配を永久化する体制だった。こんなことをやっていたら、日本企業は世界の中では生きていけない」。  

【評価】

特許パッケージ・ライセンス。綱引きは不毛。ゲームのルールを決めるゲームにシフトアップ(メタ化)するのが有効。かつて日本企業は、自社の利益より、業界の連帯と秩序を優先した。このムラ構造は、外圧(米欧企業からの攻勢)と内圧(利益重視の経営)によって、急速に崩壊しつつある。

 

15.みんなこの条件ですよ(positional bargaining)(交渉):  

【状況】

新型のカラー静電転写プリンターは、夢のプリンターともいわれ、各社がきそって商品化しようとしている。都電子も開発を始めたが、基本特許は、米国大手コンピューター・メーカーHALがもっている。すでに数社がHALと契約している(条件は不明)。

都がHALに書簡を送り、条件を照会したところ、HALは、これの商品化には、特許ライセンスだけでなく、ノウハウも必要として、一時金1,000万ドル(ノウハウ対応)とランニング・ロイヤルティ2%を要求してきた。

都電子が値引き交渉を始めようとしたところ、HALの担当者は鼻で笑う。「みんなこの条件ですよ。当社は米国司法省との同意判決で、ライセンシーを差別してはいけないことになっているのを知らないのですか? 都さんにだけ別な条件にすると、いままでのライセンシーから文句が出ますよ」。  

【決断】

商品化できるかどうかの開発リスクが大きいため、一時金は払いたくないと考えた都電子は、ノウハウと特許の切り離しを本気で反対提案する。これらを一緒にするのは抱き合わせだし、いままでのライセンシーに拘束されるのはカルテルで、どちらもかえって独禁法違反だとして、法律論争にもちこむ。ふつうの交渉であればぜったいにしないことだが、今回に限ってやる。HALが司法省の監視下にあることを利用した――ことばは悪いが――脅迫である。  

【対話】  

【評価】

「みんなこの条件ですよ」というのは、市場力をもった強者の決まり文句である。これでガックリきてはいけない。強者との交渉のコツは争点を複雑化すること(将棋と同じ)。ハーバード流では「再構築」という[13]

 

16.ウィンストン事件(交渉):  

【はじめに】

このケースは、友人と2人で交渉の演習をするのに好適だが、通読も可能である。「交渉科学negotiation science」は、米国では長い歴史を持つ科学で、その基礎はゲームの理論(theory of games)と決定分析(decision analysis)である。核抑止からビジネス交渉、はては夫婦関係までという広い応用分野があり、45年にわたる米ソ間の「冷たい戦争」を熱核戦争にしなかったという大きな歴史的役割を果たした。先駆者の一人トマス・シェリングが2005年ノーベル経済賞を受けた。毎年春秋の2回開かれるハーバード法科大学院の「ネゴシエーション・ワークショップ」には、官庁や大企業の幹部に加えて、全米の弁護士事務所のエリートが集う。

このケースは、ビジネス・パースンが日常的に体験する交渉のうち、とくにゼロサム性が強いといわれる特許ライセンス契約交渉(以下単に「ライセンス交渉」)の最終段階を「役割演技(ロール・プレイング)」するものである。ライセンス交渉はかならず権利者と侵害被疑者の間でおこなわれる。ロールプレイングでは、参加者が、権利者側代理人と侵害被疑者側代理人の二手に分かれて、両社間のライセンス交渉を役割演技する。

ライセンス交渉は、つねに訴訟を意識し、訴訟の脅しのもとでおこなわれる。しかし、交渉が決裂して訴訟に行ってしまうのは、どちらにとっても望ましいことではない(だから交渉している)。訴訟は法律に基づいておこなわれ、裁判官は、判決が両者のビジネスにとって望ましいかどうかなどは考えてくれない。訴訟は当事者からみるとアウト・オブ・コントロールなので、訴訟をビジネスの手段として使うのは、ビジネスとしては責任放棄である。

裁判の様子を見て和解するという話をよく聞くが、「戦争を始めるのは簡単だが、それを終わらせるのはむずかしい」と米国の戦略思想家フレッド・イクレが言っている[14]。訴訟も同じで、いったん始まると、双方のコミュニケーションがとだえてしまうので、日韓企業間のように馴れ合い訴訟の暗黙の了解ができている場合を除いて、和解は非常に困難になる。

だから、このロールプレイングの唯一のルールは、”O.K., let’s go to the court”と言ってはいけないことで、このせりふが出たところで、ロールプレイングは終わりになる。

このロールプレイングの背景は現実の事件を翻案したものである。問題の特許は実在のものではない。交渉がおこなわれる時代としては1990年代初め(専用ワードプロセッサがパソコンにリプレースされようとしていた時期)を想定されたい。

 【状況】

SIMMとは、メモリ・モジュールの一種で、外部と電気信号を送受信するためのカードエッジ・コネクタに電気信号が一列に割り当てられているSingle In-Line Memory Modulery苦笑である。都電子のSIMMは、電子部品標準化機関のJEDEC規格に準拠して端子数が30ピンある。データ・バス幅は、8bitのデータ用と1bitのパリティ用の計9bitである。30ピンSIMMには、メモリ9個(1Mbytes×9bit=データ8bit+パリティ1bit)のものとメモリ3個(データ4bit×2+パリティ1bit)のものがあり、寸法、入出力仕様は同一(JEDEC準拠)である。

1980年代初め、米国法人ウィンストン社は、ワープロでトップ・シェアを持っていた(このころパソコンはまだ出たばかりで、脅威とは思われていなかった)。ただ、ウィンストン社は、ワープロをベースにして情報処理システム市場に進出しようと思っていたため、ワープロの高性能化−−したがって大容量メモリーの確保−−が必須の課題であった。しかし、ウィンストン社の弱みは、自分で半導体製品を作れなかったことである(大口買手)。

そこでウィンストン社は、半導体メモリー(D-RAM9個をドーターボード上に1列に取り付け、30本のピンでマザーボード配線から入出力するという構造のSIMMを考案、日本の都電子株式会社(本社:東京、半導体を含む総合電子メーカー、当時の年商約2兆円)を含む主要半導体メーカーをオブザーバーとして、大々的な新製品発表プレス・レリースをおこなった。

席上、ウィンストン社幹部は、「SIMMはあたらしく技術開発をおこなわなくても、手持ちの技術で十分作れる」などと言明していたらしい。要するにSIMMをどんどん作ってもらいたいというわけである。ウィンストン社は、直後、JEDECに対してウィンストン社タイプのSIMMを業界標準指定するよう提案した。

ここまではよくある話だが、問題は、ウィンストン社が、ひそかに、同社SIMMのデザインを米国で特許出願していたことである。ウィンストン社は優先期間内に日本を含む世界各国でも特許出願した。

こんなこととは知らない都電子は大きな投資をしてSIMMの生産を始め、ウィンストン社に納めた。その後、ワープロがパソコンに押されて左前になってくると、都電子はパソコン・メーカーにも売り込みをかけ、SIMMのトップ・メーカーになった(交渉当時出荷シェア日本30%、世界15%)。

こうしているうち、都電子の後押しもあって、JEDEC標準が採択されたが、その直後、問題の特許が米国で成立、数年後には日本でも成立した。ウィンストン社は、都電子をふくむ日本の主要半導体メーカー全社に警告書を送りつけ、早期に妥結したメーカーには2.75%、遅れたメーカーには4%のロイヤルティを要求した(「早いもの勝ち」でなだれ現象を起こそうとしている−−権利者が好んで使う戦略)。

侵害被疑者側の定跡はまず抵触の有無と特許の有効性を争うことであるが、もともと技術標準を特許にしたのだから、文言抵触を争っても勝てる可能性はない。しかし、クレームが均等論で限りなく膨張してしまうのは困る。

均等論:特許権の範囲は、特許公報の「特許請求の範囲」(一般に「クレーム」ともいう)に厳密に書かれているが、それをわざとちょっとだけ変えて作れば侵害にならないというのでは、発明の保護が不十分になるということで、ある製品が特許発明の構成と実質的に同一であれば侵害だとする判例法が成立している[15]。ただ、発明者が、出願過程で均等論の適用を否定するような言明をしている場合、均等論は適用されない。

また有効性についていえば、メモリ・モジュールの基本的な構造は米国では1970年代からあったが、ウィンストン社は、米国特許の審査過程で、先行技術を迂回するためクレームをぎりぎりまで減縮しており、成立した特許は米国でのいくつかの訴訟で無効主張を乗り越えている(adjudicated patent――仮差止めがかかりやすい)。これらの訴訟で、ウィンストン社は、9チップ製品ばかりでなく、記憶密度4倍のチップを3個使った製品まで、均等論によって同社特許の技術的範囲に入ると主張し、勝訴ないし有利な和解をとりつけている。

日本各メーカーは一応は論争したものの、結局はつぎつぎに契約、最大手の都電子が最後まで残った。ウィンストン社は先行各社との契約に「最恵ロイヤルティ条項(MFN)」を入れているらしく、あとへは引けない立場のようである。

両社は、数次の往復文書での応酬(なんら発展なし)のあと、東京でface-to-face交渉をおこなうことになった。ウィンストン社は、ほかのライセンシーの手前もあって、この交渉を平和的解決の最後の機会とするむね言明するとともに、契約書(案)を送ってきた。

こんな状況で、両社を代表者どんな戦略で交渉に臨んだらいいか。特許権の有効性や抵触の有無(均等論ふくむ)についての議論は尽くされているので、あとは訴訟へいくかどうかの瀬戸際での交渉である。

都電子社内極秘資料−−ロールプレイングの場合は、都電子側だけ読む:

都電子出荷実績(1990)・中期計画(1991-)・ロイヤルティ試算(極秘):単位億円

1990

1991

1992

1993

1994

1995

9チップ

107

129

155

181

241

318

1131

2.75%

3

4

4

5

7

9

32

4%

4

5

6

7

9

13

44

3チップ

56

67

80

89

89

82

463

2.75%

2

2

2

2

2

2

12

4%

2

3

3

4

4

3

19

9/3チップ計

163

196

235

270

330

400

1594

2.75%

5

6

6

7

9

11

44

4%

6

8

9

11

13

16

63

法務部長メール:訴訟にしたらJEDECの信義問題(「黙示のライセンス」)で勝ったとしても10億円はかかる。

特許部長メール:特許論は当社不利。adjudicated patentなので仮差止めのおそれが高い。

半導体事業部長メール:SIMMの将来について、うちは他社よりはるかに楽観的。今期利益が出すぎているので、lumpsum(払いきり一時金)でケリをつける手はないか。  

ウィンストン社内極秘資料――ロールプレイングの場合は、ウィンストン側だけ読む:

都電子出荷予想・ロイヤルティ試算(業界団体のJEITA統計x 30%として推定):単位億円

1991

1991

1992

1993

1994

1995

9チップ

107

114

146

172

180

156

768

    2.75%

3

3

4

5

5

4

21

    4%

4

5

6

7

7

6

31

3チップ

56

56

72

90

90

60

368

    2.75%

2

2

2

2

2

2

10

    4%

2

2

3

4

4

2

15

9/3チップ計

163

170

218

262

270

216

866

    2.75%

4

5

6

7

7

6

31

    4%

7

7

9

11

11

8

46

社長メール:もちろん9/3チップ両方、4%がベスト目標。いずれも先行ライセンシーとのMFNあり。ただご承知の当方弱点(JEDEC問題)あり、訴訟にはしたくない。どうしても譲るとすれば料率、ただしMFNとの関係で大義名分必要。30ピン前途悲観的、したがってrunning royalty(従価・従量ロイヤルティ)よりquick moneyが貴重。

法務部長メール:訴訟にしたら、勝ったとしても10億円はかかる。特許論(抵触・有効性・均等論)で負けたら、いままでのライセンシーがぜんぶ崩壊する。  

【決断】

かりに訴訟に行った場合、都が確実に払うのは9チップ/2.75%30億プラス訴訟費用の20億、訴訟の勝率がかりに半々とすると、期待値は64億の半分で32億、合計82億になる。さらに営業的な損失を考えると100億になろう。ウィンストン社の提案どおり9/3チップを2.75%で合意すると44億ですむ。  

【対話】  

【評価】

これはじつはwin-winゲームである。都は44億はやむをえないと思っているし、ウィンストンは31億取れればいいと思っている。ウィンストン社長が心配している「大義名分」も、当初の都の貢献を表に立てればいい。だが、この意思疎通が難しく(囚人のジレンマ)、実際は、交渉がはじけて訴訟になり、都電子が「黙示のライセンス」で勝った。都電子のギャンブルであった。

 

17.「小指折り」――state of mind(孤独の決断):  

【状況】

性犯罪はかならず接近戦になるが、バタバタしないで相手に十分に組ませ、その間、おちついて――こちらの意図を気取られないように――相手の小指を探り、握る。  

【決断】

握った瞬間、逆方向に、一気に――容赦なく――折る。あとを見ずに逃げる。  

【対話】  

【評価】

私は柔術をやったが、禁じ手のコレクターで、師匠や仲間から嫌われた。禁じ手のひとつが「首かんぬき」だが、これの唯一の天敵がこの「小指折り」である。女子供専用の必殺の護身術だが、ふだんから「心の状態」を一触即発にしておかないと使えない。いざというとき捨て身で戦える覚悟が武士道である。

 

18.メルセルケビール海戦(孤独の決断):  

【状況1

19399月、ドイツ軍がポーランドに侵入、第2次世界大戦が始まった。19405月、ドイツ軍は、フランスが独仏国境に敷設した難攻不落のマジノ要塞線を北に迂回、中立国のベルギー/オランダを一気に駆け抜けてフランスに侵入した。622日、パリの北コンピューニュの森で、ドイツのカイテル将軍とフランスのユンチジェル将軍とが休戦条約に署名した。協定によれば、フランス艦隊は、ドイツに敵対行動をしない限り温存されることになっている。

当時のフランス海軍のうち、ジャンスール提督の率いる最強の艦隊が、仏領アルジェリアのメルセルケビール[16]港に停泊していた。この艦隊は、フランス海軍の中で最新の高速戦艦ストラスブール/ダンケルク、旧型戦艦ブルターニュ/プロバンス、およびそれらの護衛艦艇からなっていた。

73日朝、サマヴィル中将の率いるイギリス艦隊(戦艦バリアント/レゾルーション、巡洋艦フード、空母アーク・ロイヤルおよび護衛艦数隻)がジブラルタルからアルジェリア沿岸に回航、駆逐艦フォックスハウンドが港の入り口付近に停泊し、交渉役のホランド大佐が交渉に向かった。ホランド大佐は、フランス艦隊司令の代理デュフィ大尉に最後通牒を手交した。

以下は通牒の概要である。

(1) イギリス艦隊とともにドイツと戦う。

(2) 乗員を減らして艦艇をイギリスの港に回航する。乗員はできるだけ早く送還する。 

(3) ドイツとの休戦条件に反しない手段として、乗員を減らして艦艇を西インド諸島――例えば仏領マルティニーク――へ回航して非武装化するか、それともできればアメリカの信託下にはいる。

(4)  6時間以内に自沈する。

(5) 上記いずれも受け入れない場合、私は、貴艦隊をドイツに手に渡さないため、あらゆる必要な武力を行使するよう、政府から命令を受けている。

あなたがフランス艦隊司令ジャンスール提督だったらどう決断するか。  

【決断1

フランスにとって、(1)(2)はドイツとの休戦条件に照らして、到底受け入れられる内容ではない。(3)は政治的行動なのに、ヴィシーにいる海軍大臣との無線連絡がうまくいかず、決断できない。結局、決断しないまま、6時間が経過した。  

【状況2

9時、ホランド大佐は、フランス側から、明確な回答がないまま帰艦した。

あなたがサマヴィル中将だったらどう決断するか。  

【決断2

1230分、イギリス空母から発信した艦載機ソードフイッシュが、湾口へ磁気機雷を散布した。このときフランス艦載機と空中戦になって、イギリス兵1名戦死。

1656分、イギリス艦隊が砲門を開いた。フランス艦隊も反撃したが、大型艦が艦首を陸に向け停泊していたため、主砲による砲撃ができず、やむなく副砲や備砲で応戦した。最新鋭の戦艦ストラスブールは、阻止しようとしたイギリス駆逐艦に330mm主砲を浴びせて牽制しつつ、微速で湾口に向けて航行開始、沿岸の砲台がこれを援護した。旗艦ダンケルクは、イギリス戦艦の381mm主砲弾を近距離から四発受けて沈黙、みずから座礁した。1810分ごろ戦艦ブルターニュが弾薬庫に直撃を受けて爆沈、さらに戦艦プロヴァンスも大破、この海戦でフランス水兵総計1,296名が戦死した。直後、フランスのヴィシー政権はイギリスと断交。

戦艦ストラスブールは脱出し、駆逐艦6隻とともに翌日ツーロンに入港した。後日、ダンケルク/ストラスブール/プロヴァンスも修理を受けてツーロンへ帰港したが、194211月、ドイツがこれらを接収しようとしたため、自沈した。 

【対話】  

【評価】

攻撃が断交前で、フランスがまだ友好国だったことに留意してほしい。これは、「中立は無に等しく、敵の友は敵」という世界である。

敵は

友は

敵の

友の

その後の――ドゴールの亡命政権とレジスタンスによる抗戦――の歴史をみると、ジャンスール提督にとっては、最後通牒の(3)がいちばん正しい決断だったと思われる。ただ、これはあくまでも結果論で、一介の軍人にそこまでの先見性を要求するのは無理であったろう。

次善の決断は(5)であったろう。それなら、なにも6時間待たなくても、ストラスブールとダンケルクをすぐさま後進・回頭させて、至近距離での主砲戦を挑むことができたはずである。手遅れになったあとでもストラスブールは脱出できたのだから・・。結局、ジャンスール提督は、麻痺状態のヴィシー政権の命令を待って、軍人としての権限内で自分で決断しなかった――それが千名を越す自分の部下を犬死させた。

一般に、誤った決断より、決断の不在のほうが有害である。東京湾事件と高天原山事件の教訓は、「必要な情報が不十分で、自分の決断に自信が持てないときは、現状(status quo)を維持するという決断も有力である」というものだったが、これは本事件にも妥当する。ジャンスール提督は、いたずらに政治的状況を顧慮することなく、攻撃されたら反撃するという、軍人の本分(status quo)に従うべきだった。

 

19.日米半導体事件(孤独の決断):  

【状況】

【決断】 

【対話】  

【評価】

 

20.太平洋戦争(孤独の決断):  

【状況】  

【決断】 

【対話】  

【評価】

 

21.キューバ危機(孤独の決断):  

【状況】  

【決断】 

【対話】  

【評価】

 

22.カントリー・リスク1(決断の鎖):  

【状況】  

【決断】 

【対話】  

【評価】  

パワースター(株)は、1995年以降累次の電力自由化政策に沿って発電事業に新規参入したいわゆる特定規模電気事業者(PPS)で、総合商社数社が株主である。昨年度の売上高は、天然ガス火力発電を主として約2,500億円だったが、損益はトントンである。日本では、自由化になったといっても、まだまだ在来10電力の壁が厚く、急な成長は見込めないので、社長である塚田和子(50歳)の眼は海外新興市場に向いている。そこで、昨年、パワースターの100%子会社パワースター・オーバーシーズ(株)を設立し、開発途上国での発電事業に乗り出した。

ベトナム社会主義共和国は、面積にして日本の0.88倍、人口83,120千人で、首都はハノイの人口は3145,300人である。

政治はベトナム共産党(ベトナム戦争中は「ベトナム労働党」)による事実上の一党独裁政治が行なわれている。名目的に存在した民主党、社会党は80年代末に解散され、複数政党制から単独政党制に移行した。現在でも、しばしば政治の民主化を望む人々が逮捕されることがある。党書記長(党総秘書)、国家主席、政府首相の3人を中心とした集団指導体制であり、現在の共産党中央執行班書記長はノン・ドゥク・マイン、国家元首はグエン・ミン・チェットであり、政府首相はグエン・タン・ズン。

政府の運営は、極めて官僚的であり、中国に類似している。

ベトナムの国会は、2006627日、チャン・ドゥク・ルオン国家主席の引退に伴い、新国家主席にベトナム共産党のグエン・ミン・チェット政治局員(党ホーチミン市委員会委員長、「城委秘書」)を選出した。また、国会は引退するファン・ヴァン・カイ首相の後任にグエン・タン・ズン党政治局員を選出した。国会は、28日、新首相の提案に基づき8閣僚の交代人事を承認した。

国会:定員500名。任期5年。ベトナム共産党450名、独立系(非共産党員かつ共産党の推薦を受けない者)1名、投票率:99.64%(2007年)。

ベトナムでは、電力需要が急速に拡大しており、2-3年後以降は供給が不透明。また送電網が弱く停電が多いという問題がある。

発電燃料は大きくは北が石炭、南が天然ガスといえる。

電力供給は2-3年は問題ない。但し電力需要は急速に拡大しておりその先は不明。

IPPは認められない。自家発は持てるが売電も不可。但し工業団地のインフラ整備企業等で地域限定の電力供給を行うことは認められている。

IPPIndependent Power Producerの略で、独立系発電事業のことをいう。「卸電力事業」とも呼ばれる。日本では、1995年の電気事業法改正で、一般事業者が電力会社へ電力の卸供給を行うことが認められ、石油・鉄鋼・化学などの業界各社が、IPP事業を新たなビジネス・チャンスととらえて参入している。卸売業者は入札によって決定されるが、特に石油会社は燃料を安く調達できるほか、製油所における自家発電のノウハウを持っている点で有利な立場にあり、多くの落札実績を挙げている。IPPには、余剰電力の取り引きを活発化させる効果が期待されている。

需要側では停電が多いことが最大の課題。原因は、落雷、設備の不安定さ、変電設備など。基本的に送電網が弱く、これへの協力も必要。

石油を輸出して石油製品を買い戻している。ガソリンの価格維持政策をとっている。

また石油を輸出して、天然ガスを発電に使うのが基本的な方針。

ホーチミンの大気汚染はかなりひどい状況と思われる。しかし現在の状況になって未だ日が浅く、問題が顕在化していないのではないか。従って大気汚染やガソリンの品質に対する意識はまだ高くない。国民の健康問題には基本的に敏感であり、今後問題になる可能性がある。

投資対象としてのベトナムの問題点は、政策運営が不透明、インフラ未整備、原材料・部品の現地調達が困難など。しかし中国と比べると、通貨切り下げ問題がない、極端な電力不足はない、集団指導体制のため政治的な激変はないなどから、リスクは大きくない。現実に撤退する企業も少ない。

・フーミー火力発電所3について:

投資元は、BP、シンガポールの電力会社、九州電力・双日であり、3社のイコールパートナーとなっている。これは、BPの戦略である。BPは、天然ガスに関わるアップストリームから、ミドルストリーム、ダウンストリームをもつこと。かつ、それぞれについて100%リスクを負わないように、それぞれ3割ずつ出資する考え方である。このような考えから、フーミーについても他の投資家に譲渡した。

譲渡に当たり、BPはオイルとガスの会社であったこともあり、電力のオペレートなどができる九州電力などの電力会社と組みたかったようである

フーミーには4つの発電所が集中立地している。高圧送電網、取水口等のインフラが日本からのODAによって整備され、発電所はそれを活用している。

フーミー3はベトナム国内で最初のBOT方式による発電所。20043月に商業運転を開始した。

BOT